| 30, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(4) 萩原朔美

1978年から1982年くらいまでの間、日本中の中学生から大学生までに多大な影響力を持つ雑誌ががあった。それらは当時一部のおじさん系メディアから「三大ヤング雑誌」などとも呼ばれたりした。 『POPEYE』(当時、平凡出版)『rockin' on』(ロッキング・オン社)、そして『ビックリハウス』(パルコ出版)だ。 僕はおじさん系メディアの指摘通り、その3誌を毎号読んでいた。もちろん、毎号買うわけないはいかないので、立ち読みや、友達に借りたりもしたが。 昭和55年当時、若者への雑誌の影響力は凄まじいものがあった。(サブ)カルチャーのほとんどが雑誌によって啓蒙されていった。中でも僕がもっとも影響を受けた雑誌が『POPEYE』なのだが、それは今となってみれば、当たり前だと思われるので、ここでは省く。...... READ MORE

| 23, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(3)鴨川つばめ

少年チャンピオンに1977年から1979年に連載されたギャグ漫画『マカロニほうれん草』、その作者が鴨川つばめだ。たった二年間しか続かなかったのに、当時の中高生は彼の描く漫画に熱中した。なぜなら、そこに登場するキャラクターが、とにかくオシャレだったからだ。 ...... READ MORE

| 20, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(2) かぜ耕士

昭和という時代、ラジオの深夜放送は当時の中高生たちにとって絶大な影響力を持ったメディアだった。テレビ、新聞、雑誌よりもその力は強大だった。今、フェイクニュースという言葉が氾濫しているけれど、昭和50年代、ラジオの深夜放送で語られる言葉がすべて真実だと僕は思っていた。その代名詞的存在が、かぜ耕士だった。 ...... READ MORE

| 19, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(1) 荒木一郎(下)

日本のシンガーソングライターの(おそらく)ハシリであろう荒木一郎は、役者としても昭和史にその名が刻まれると、僕は思う。歌手が役者としても成功している例は多いが、彼が演じた役を他の人が演じることは想像できないほど唯一無二の存在感を放っている。 昭和を代表するピカレスク・アクターの主演男優といえば、勝新太郎か、松田優作が東西両横綱だとすると、助演男優にはこの荒木一郎と、成田三樹夫を挙げたい。よって、松田優作と荒木一郎が共演した映画『最も危険な遊戯』は日本映画史を代表するピカレスク・ムービーと言える。 ...... READ MORE

| 18, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(1) 荒木一郎(上)

1966年、昭和41年。荒木一郎は22歳。 名曲『空に星があるように』を世に送り出した。 リリースから50年以上も歌い続けられているこの曲は、荒木一郎の名前を知らなくても多くの人が口づさむことができるだろう。 22歳の若者が作詞も作曲も一人で手がけ、歌った。そして大ヒットさせたのだ。 荒木一郎以前にそんなことをした日本の歌手はいない。 ...... READ MORE

| 17, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(1) 序文

偉人とは、同時代を生きているときには実感できないが、後世、振り返ると「そうだったかも?」と思える人ではないだろうか。 僕が青春時代を送った“昭和”という時代にも、政治では吉田茂とか、田中角栄という方たちが今、偉人と呼ばれる。経済界には松下幸之助とか、本田宗一郎とか。スポーツ界には長嶋茂雄に大鵬、力道山。 ただ、僕がもっとも熱狂し、影響を受けたサブカルチャー界には、偉人と呼べるような方はいただろうか? そもそも“サブ”カルチャーってくらいの、本流とか王道とかでない世界で“偉人”と呼ぶのがふさわしいのかどうか。 ...... READ MORE