(Editor in Chief) | 19, Oct, 2017

昭和のインフルエンサー(1) 荒木一郎(下)

日本のシンガーソングライターの(おそらく)ハシリであろう荒木一郎は、役者としても昭和史にその名が刻まれると、僕は思う。歌手が役者としても成功している例は多いが、彼が演じた役を他の人が演じることは想像できないほど唯一無二の存在感を放っている。

昭和を代表するピカレスク・アクターの主演男優といえば、勝新太郎か、松田優作が東西両横綱だとすると、助演男優にはこの荒木一郎と、成田三樹夫を挙げたい。よって、松田優作と荒木一郎が共演した映画『最も危険な遊戯』は日本映画史を代表するピカレスク・ムービーと言える。

上の写真がそのワンシーンである。およそ役者とは思えない風貌がなんとも言えない。スキャンダルにすがる三流芸能記者かと思うほど。その独特のリアリティが役者・荒木一郎の才能である。

荒木一郎はシンガーソングライターになるずっと前から役者だった。母親が役者だったせいで、子役からNHKの人気番組に出演している。

『空に星があるように』を大ヒットさせた1966年、実はその数ヶ月前に『893愚連隊』(東映・中島貞夫監督)で準主役を張って、映画批評家たちを唸らせている。「脇役ばっかりやっていてもギャラが上がらない」という理由で歌手デビューしたのが『空に星があるように』だったそうだ。常に全力投球、頑張っている感がまるでないのに、一流なクリエイションをやってのけるのが、荒木一郎の天才の証。

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1967年には、大島渚監督の『日本春歌考』(松竹)で主演を務める。反逆的な高校生を「地」とも思えるような演技で演じた荒木一郎は必見だ。当時23歳だから、高校生にしてははちょっと老けているかもしれないが、爽やかな若さを振りまくジャリタレの青春映画しか見ていなかった僕には、公開から10年後に後追いで観ても古さを感じるどころか、逆に衝撃を受けたほどだ。

その後も荒木一郎は、低予算B級映画ばかり、自ら好んで出演した。しかし、その作品群は一部の映画ファンや批評家には高く評価され、彼の演技も同格の評価を受けた。

荒木一郎には、自己顕示欲とか、メジャー志向というものが全く感じられない。お金に苦労したことがない、ボンボン育ちのせいなのか。当時、東京の名門私立高校卒業生によく見られる「目立つことはカッコ悪いこと」という美学なのか。

1972年『白い指の戯れ』(日活・村川透監督)の主演作も高く評価されたが、それ以降はあまり主役を演じていない。(下の写真は伊佐山ひろと共演した同作品)

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しかし、その間も荒木一郎のありあまる才能は、昭和の芸能界に溢れ続けていた。

東映のポルノ作品へ、主演女優を送りこんでいたのである。有能なマネージャーとして。杉本美樹、池玲子、芹明香など1970年代を代表するポルノスターたちを荒木一郎が発掘し、マネージメントした。この3人の女優をおかずにしたら、何本抜けるだろう? 杉本美樹の一枚の写真だけで、当時の僕は3杯はおかわりできた。

極め付けは、桃井かおりである。彼が見出し、育てあげた女優としては彼女ほどの完成形はない。あまりに似た者同士らしく、その後は不仲説も流れたが、1979年に共演した『たとえば、愛』(TBS・倉本總脚本)のラス前の回で、荒木演じる悪徳ディレクターが、桃井演じる新人DJに公衆電話で話すシーンは、僕の人生の中で忘れらない1シーンとなった。

「ヴィスコンティの『家族の肖像』を観た。すごい映画だ。いいか、一般視聴者をなめるんじゃないぞ。一般視聴者は俺たちよりよほどわかっているんだ」

セリフはうる覚えだが、おそらくそんな意味だったと思う。

あの倉本聰が、ヴィスコンティのことを、荒木一郎を通して桃井かおりに語るとは! このシーンがあまりに衝撃的すぎて、僕はそのシーンに関わった4人をその後何年もずっと追い続けた。わずか1〜2分のシーンだったが、僕の中の細胞の何分の1かはこのシーンによって形成されていると言っても過言ではない。

よって、昭和のインフルエンサー(ダサいタイトル)の第一回は荒木一郎にした次第です。

シンガーソングライターとして、役者として、ポルノ女優のマネージャーとして。そして昭和の芸能界に裏番(長)のごとく影響力を放ったその才能に、僕は最大級のリスペクトを送りたい。彼の存在に影響された芸能人やクリエイターは少なくないと思う。

(荒木一郎は現在73歳。どこかで元気なお姿を拝見したいものです)

(ちなみに『たとえば、愛』の主題歌も素敵です。イントロ聴いただけで涙が溢れてきます(「青春です」))