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CULTURE
Jun 20, 2023
By THEM MAGAZINE

LP RECORD JACKET COLLECTION Vol_02

いつでもどこでも誰とでも、聴く人が自由で手軽に音楽を楽しめる時代。

そんな便利な時代に、何故アナログレコードに興味が湧くのだろう。レコードジャケットを手にして、そこからレコード盤を取り出す感触。針を落として音が出るまでのノイズ混じりの独特な間。デジタル世界では味わえない、インタラクティブな魅力があるからなのか。何より、あの大きなカバー・ジャケットのグラフィックの持つパワーは、無視することはできない。

 

前回に引き続き、編集部が独断と偏見でセレクトした、「目と耳で満足させられるLP」を紹介するLP RECORD JAKET COLLECTION Vol_02

 

 

Vincent Gallo when (2001)

 

 2001年に発売された『when』は映画『バッファロー’66』で監督・脚本・主演・音楽の1人4役を務めたヴィンセント・ギャロの1stアルバム。彼は映画監督、画家、俳優、モデル、パフォーマー、バイクレーサー…と多数の肩書きで語られるが、彼の中心にあるものは音楽。音楽こそが人生最大の楽しみだという。1970年代、彼が16歳の頃には、画家のジャン=ミシェル・バスキアとNYのアンダーグランドシーンでGRAYというバンドも組んでいたこともあり、彼の音楽活動は30年以上と長い。

ヴィンセント・ギャロを一言で説明するとしたら、超完璧主義者。自分の作品に関わることは全て1人でこなしてしまう。

今回のアルバムの作者クレジットも、

all music was written, performed, & produced by Vincent Gallo”と記載。アートワーク含め、作詞、作曲、演奏、歌、録音全て、隔離された自宅のスタジオに身を置き、1人でやってのけている。

本作『when』の制作期間は2週間。しかしアルバムを作るために、まず手を付けたのは自宅のスタジオ設営であり、その完成までに一年半を費やしたという。彼は、ヴィンテージ機材ヲタクとしても名高く、自身のコレクションを使用したこのアルバムが、Aphex TwinBoards of CanadaPlaidなどテクノの重要アーティストの作品をリリースし「電子音楽の名門」として知られるイギリスのレーベル、《Warp Records》から出されたということも異質さを放っている。

 

またこのLPは手作業で丁寧に綴じられた上製本仕様。頑丈なボール紙に印刷用紙を覆った重厚感のあるジャケットは一枚に対して製作単価がかなり掛かると思われ、ヴィンセント・ギャロの“アナログ愛”故の頑固さが伺える。ましてやリリースされた2000年代初期、CDがメインだったあの時代に大手レーベルからここまで一枚に単価をかけたパッケージでのリリースは、かなり稀な例だと言える。ハイ・クオリティなアートワークを追求する《Warp Records》ならではの一枚。

 

 

 

ALLEN GINSBERG HOWL (1976)

ビートジェネレーション=ビートニク。消費社会、既成価値への反抗、拒否。スピリチュアル世界への傾倒。そのリーダーでカリスマ的人気のあった、アレン・ギンズバーグは1956年に詩集『HOWL and Other Poems』を

City Lights Books》より出版。今やその本のカバーがTシャツやトートバックでもお馴染みになっている。

HOWL』の冒頭の一節である「天使の顔をしたヒップスターたち」は、のちのヒッピーの語源になった言葉とも言われている。当時、彼を含めたビートニクの詩人達は教会やカフェ、本屋などで自作の詩を朗読する、ポエトリーリーディングを行った。

このLPはアレン・ギンズバーグが実際にポエトリーリーディングを行った

HOWL』の作品を音源化したアルバム。このジャケットは1976年再発時のもので、50年代にリリースされた初版のLPジャケットとはヴィジュアル及びデザインが全く違う。

 

この再発盤のジャケットの写真は、ピーター・メイソン・ボンドという芸術家兼哲学者の『PEMABO’S PEACE GARDEN』という作品の写真。長年プロの看板画家だった彼は、サンフランシスコの自宅の庭に手書きの看板を立て、世界平和を唱えるインスタレーションを作った。何百もの手描きの看板には、平和主義の哲学が独自のレタリングで描かれている。

ビートニクが現れた50年代には、ピーター・メイソン・ボンドは既に80歳近くになっていたが、この『PEMABO’S PEACE GARDEN』に来たドラッグ中毒者のビートニクやヒッピー達に向けて頻繁にカウンセリング行っていた。彼は、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー(※1)を中心としたヒッピー達の中では影響力のある芸術家だったが、1971年の彼の死後、庭園は更地にされ、看板のほとんどが破壊された。ヘイト・アシュベリーのビートニクやヒッピーのリアルの詰まったこの場所は、今はもう見ることが出来ない。

 

なおこのアレンギーズバーグの『HOWL』のアルバムジャケットは定期的にリデザインされている。

90年代はシネマチックな写真に赤のタイポグラフィが際立つジャケット(CDのみ)、2018年にLPで再発されたジャケットはモノクロでタイプライターの写真と文字のみのアルカイックなデザインだ。

アレン・ギーズバーグの『HOWL』のジャケットは年代毎に大きく変わり、その世代の時代感を反映させたデザインになっている。

 

 

NEIL YOUNG MIRROR BALL (1995)

 1990年代のグランジムーブメント、時代の寵児だったパール・ジャム(※2)だが、ギターのマイク・マクレディの薬物・アルコール依存症、良きライバルであったカート・コバーンの突然の死など、上り調子と思われたバンドの実状は、若くして引き籠り、無気力状態にあった。そんな時期、一部グランジ界でゴットファーザー的な存在だったニール・ヤングが、パール・ジャムをバックバンドとして迎えた『MIRROR BALL』を発表。なんと制作期間は2週間でレコーディング自体は4日だとか。ニール・ヤングが長年共に活動しているバックバンド、クレイジー・ホース(※3)とはまた違った、パールジャムの若さを吸収したようなソリッドかつエネルギッシュで勢いのあるアルバムになっている。

 

このジャケットのタイポグラフィーを手掛けたのは、ロック写真家のジョエル・バーンスタイン。

彼はニール・ヤングをはじめ、ボブ・ディラン、グラハム・ナッシュ、ジョニ・ミッチェルなどの数多くの70年代を代表するミュージシャンの写真を撮り下ろしている。

ジョエルの最初の作品とも言える、ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』以降、彼はニールの写真を少なくとも、一万枚以上撮っている。ニールのアルバムのいくつかを共同プロデュースしたことに加え、レコーディングやステージで演奏したこともあるほど、彼らは写真家と被写体という関係をはるかに超えている。ニールにとって友人であり“ずっと一緒にやってきた”同胞的存在。

そんな彼が、本作の裏面のクレジットや歌詞カードの文字、盤のレーベル部分など全ての文字を手書きで書いている。ライナーノーツには小さな手書き文字がびっしりと組み込まれた、ジョエルお手製のアルバムデザインだ。

このLPのパッケージには、ペラペラで茶色のボール紙をあえて使用している。このようなボール紙は通常、貼箱や本の表紙の芯材として使われることが多く、印刷再現性や耐久性の低さからジャケットにはあまり使用されない(ニール・ヤングはあえて使っていることも多いが)。このジャケットでは、茶色のボール紙にベースとして白のインクを印刷してから、その上にスミを印刷した凝った仕様。モノクロのミラーボールの写真をザラついたボール紙にベタっと印刷することでLPパッケージでは珍しい、インディペント感のある独特な質感に仕上がっている。

 

また本作のクレジットは、パール・ジャムとニール・ヤングが違うレコード会社のため“パール・ジャム”の記載は伏せ、バンドメンバーの個人名のみが書かれ、表向きはあくまでニール・ヤングが主体のアルバムとなっている。

また、パール・ジャムは『ミラーボール』のスピンオフとして本作の制作時に同じスタジオで(ニール・ヤングも参加の)自分たちの曲も録音し、同じボール紙のジャケット仕様で2曲入りのシングル『マーキンボール』をパール・ジャム名義で出している。それには(ここには記載出来ないが)あるスラングが意味されていると噂も。

 

 

JOHN CAGE nova musicha n.1 (1974)

 『nova musicha n.1』はアメリカの実験音楽家、ジョン・ケージの作品が凝縮されたアルバム。1952年に発表されたジョン・ケージの代表作『4.33』も収録されている。この『4.33』という楽曲は433秒間全く無音の楽曲で、それまでの音楽史にはない新たな発想の定義として、今もなお音楽史に爪痕を残している。この『4.33』の楽譜には、音符がなく“TACET(休み)”の指示だけ書かれているだけである。

この楽曲の製作経緯は、ハーバード大学での無音室での体験。無音室に入ってもなお鳴り響く自身の体内の音を聴き、自分が死ぬまで音は鳴り続けるのだと悟った彼は、音の無い空間の中で偶発的に生まれてしまう音を聞く、無音の「4.33」を作った。

このアルバムは70年代イタリアを代表するレーベル、《CRAMPS》からのリリースで『nova musicha』は、実験音楽主体のシリーズとして全18枚のアルバムがリリースされており、ジョン・ケージがその第一弾となる。

 

アルバムのアートワークにはきのこ愛好家でもあるジョン・ケージらしいイラストに、「アヴァンギャルド・ゴシック」書体を使ったタイポグラフィーが印象的なデザイン。『nova musicha』シリーズは、その後続く17枚全てが「アヴァンギャルド・ゴシック」で統一されている。

この「アヴァンギャルド・ゴシック」という書体は、1968年から1971年までの間に14号まで発行された芸術雑誌、『Avant Garde』誌のために、アメリカのグラフィックデザイナー、ハーブ・ルバーリンが設計したもので、半世紀たった今もなお、街中を歩いてこのフォントを探すと、至る所に使用されている。分かりやすい例でいうとAKB 48などにも……

 

コンセプチュアルに音楽の在り方を定義し直したジョン・ケージは、現代のアーティストにも多くのインスパイアをもたらしている。コーネリアスは2006年にリリースされた『sensuous』のタワーレコード特典として、ジョン・ケージの『nova musicha n.1』にそっくりなジャケットデザインをパロディ作品として製作した。

 

本作を聴くと、何故か見ている景色が不思議に感じてしまう。あるいは日常的に見ているはずの普遍的な視点に注目してしまうような……。音楽を聞いているのか、景色を見ているのか分からなくなるアルバム。アルバムを一通り聞いた時に、心臓の鼓動が早くなっているのに気付く。是非このジョン・ケージの『nova musicha n.1』を聞いて、なんとも言えない感覚を感じてみてほしい。

 

 

Sly & The Family Stone There’s A Riot Goin’ On  (1971)

 1970年代のアメリカ。公民権運動指導者、キング牧師の暗殺事件により過激化した暴動、泥沼化するベトナム戦争、オイルショック、連日テレビで目にするニュースは、アメリカの若者も大人も先行きの見えない社会に対して不安と失望感を抱いていた。そんなアメリカ社会に対して、アメリカのソウルシンガー、マーヴィン・ゲイ(※4)は1971年に『What’s Going on』(何が起こってるんだ?)をリリース。それに応えるように、サンフランシスコを拠点とするファンクバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは『There’s A Riot Goin’ On』(暴動が起きている)を同年にリリース。

当時のアメリカにとって、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、白人黒人混成であり男女混成という未だかつてないグループバンドだった。その人種の壁のないバンドというのが彼らの魅力であったが、黒人解放闘争をしていた組織、ブラックパンサーから白人をやめさせれるように圧力を受けることになる。その影響でこのアルバムの制作時、バンドのフロントマンであるスライ・ストーンは精神を追いやられ、ドラッグに溺れるようになった。バンドは次第に不仲になり、スライ・ストーンは一人スタジオに引きこもり、メンバーと顔を合わせないように多重録音を行なって、このアルバムを製作。

結果本作は、それまでのポップなサウンドとは異なり、アメリカ公民権運動や当時のアメリカの社会情勢、そしてドラッグに侵される自分自身を反映したディープな内容のアルバムになっている。

 

このアルバムのアートワークを担当したのは、アメリカのアルバム・カヴァー・アートの巨匠ジョン・バーグ。

ジャケットの(青では無い)黒地に白い太陽が施された星条旗は「すべての人種の人々」のコンセプトのもと制作された。黒は色の欠如、白はすべての色の混合、赤はあらゆる人に等しく流れる血の色を表している。星の代わりに太陽を施した理由について、“星っていうのは探さなきゃいけないし、数が多すぎる。太陽はいつもこっちを向いているから”とスライは語ったのこと。

また、スライはこのアルバムタイトルでもある「There’s A Riot Goin’ On」を4秒の無音トラックとして収録することで、暴動が起こってほしくないとアルバムを通して訴えた。

 

アルバム完成後もスライはドラッグから抜け出せず、

There’s A Riot Goin’ On』のリリース後バンドは徐々に衰退状態になり、1975年には活動を停止、1981年に正式に解散した。

その後、スライ・ストーンはソロで何度か復帰を試みたが、全盛期の頃のような評価は得られなかった。以後何度も、麻薬所持などで逮捕され、再起不能という噂もあった。

だが、2015年にスライの半生を描いた映画『スライ・ストーン』が公開、それによると1993年の「ロックの殿堂」の式典にサプライズ出演した後から消息不明となっていたが、現在はハリウッドの高台で音楽活動をしながら、隠遁生活をしているとのこと。今年で80歳になるスライ・ストーンだが、いつかまた彼の新しい楽曲を聴きたい。

 

 

 

 

(※1)ヘイトアシュベリー:1960年代、ヒッピーの発祥地と知られるヘイト通りとアシュベリー通りの交差点。グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスなど1960年代を代表するロックアーティストが活動していた。今でもヒッピーカルチャーの発祥の聖地として多くの人が集まっている。

 

(※2)パール・ジャム:アメリカのシアトル出身のグランジ・ロックバンド。1991年デビューしてから現代において30年以上ロックバンドシーンのTOPに君臨している。CDセールス記録がギネスに認定されるなど、商業的にも成功をおさめている。

 

(※3)クレイジー・ホース:ニール・ヤングのバックバンドとして知られているアメリカのロックバンド。 1969年から現在に至るまで、彼らはヤングの多くのアルバムで共同クレジットされており、15 枚のスタジオアルバムと多数のライブアルバムがリリースされている。

 

(※4)マーヴィン・ゲイ:ワシントンD.C出身の70年代を代表するソウルシンガー。彼のベストアルバムとされるのは、1971年にリリースされた『What’s Going On』。ベトナム戦争で従軍していた弟から送られてきた手紙が『What’s Going On』製作のモチーフとなった。1984年、45歳の誕生日の前日、幼少期から暴力的だった父親との口論の末、射殺されるという最後を遂げた。

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