Jul 25, 2025
By THEM MAGAZINE
COMING UP Vol.02_04 『歓楽の家』by イーディス・ウォートン
ニューヨークの社交界で勝利を目指す美女を描いた20世紀米文学の新訳。
20世紀初頭にアメリカでベストセラーとなった古典の新訳である。読み比べていないので確かなことは言えないが、古典とは思えないほど、スムーズに読める。長文で難解なセンテンスや、行間に漂う骨董くささは一切ない。これは新訳にあたった翻訳者の苦労が見事に結実した結果であろう。もちろん、読者の誰も実際に体験したことのない19世紀末のニューヨークの社交界が舞台だから、当時の上流社会のしきたりや風習などに触れながらの新発見もある。それ以上に、著者自身でさえ「小説の舞台にする価値がない」と感じていた当時のニューヨークの上流社会を、「大富豪との結婚」という単純な勝利を目指し、生まれ持っての美貌とスタイル、自尊心と虚栄心、経験からくる機転を武器に、サバイブしていく29歳の主人公、リリーの生き様は大河ドラマのような面白さがある。おそらく、のちに多くの女性推理小説作家たちがこの本のプロットに影響されたと思わせるような展開は、450ページを超える長編を感じさせないグリップ力で、読者の期待と不安を膨らませながら、カタルシスへと向かっていく。成り上がりの億万長者からみすぼらしき者までを的確に判断する洞察力、男を自在に操る手練手管。自分の美への絶対的自信。それらを最高のドレスと宝石で飾り、打算と嘘と嫉妬が渦巻く社交界を自信満々に進んでいくリリーだが、勝利の目前で自分でもはっきりと理解できない自我(もしくはささやかな享楽)に行く手を阻まれる。何かと鼻につく主人公だが、こうした些細な失態が読者の嫌悪を和らげていき、いつしかリリーの応援団となっていることに気づく。著者すら当時の社交界へどこか自虐的な捉え方をしているが、そこに蠢く富裕層の深層心理の丁寧な描写に圧倒される。さらに第一部の山場ともいえる「活人画」の大宴会のシーンは、芸術のライヴがもたらす華やかな高揚感に、読者もゲストの一人となったような気分にさせられるだろう。日本ではこれまでさほど評価が高くなかったウォートンだが、そこには20世紀のアメリカ文学批評が男性中心に回っていたという点も考慮しなければならない。性別を超えて、時代を超えて、読み継がれてほしい、そんな願いを込めた新訳。古典の底力を改めて知ることができる。
『歓楽の家』
AUTHOR _イーディス・ウォートン
TRANSLATOR _加藤洋子
PUBLISHER _北烏山編集室
イーディス・ウォートン 1862年、ニューヨークの旧家ジョーンズ家の末娘として生まれる。23歳のときボストンの名家出身のエドワード・ウォートンと結婚するが、のち離婚。1890年に短編「マンスティ夫人の部屋からの眺め」を発表。1905年に故郷ニューヨークの社交界を舞台にした本書『歓楽の家』を刊行し、一躍ベストセラー作家となる。1920年刊行の『無垢の時代』が、翌年のピューリッツァー賞を受賞。他に代表作として、『イーサン・フロム』(1911)、『国の習慣(1913)などがある。短編の書き手としても評価が高く、近年日本でも複数の短編集やアンソロジーが刊行されている。1937年没。
かとう・ようこ 翻訳家。日本ユニ・エージェンシー翻訳教室講師。レスリー・シモタカハラ『リーディング・リスト』(北烏山編集室)、ハンナ・ケント『凍える墓』、デレク・B・ミラー『白夜の爺スナイパー』『砂漠の空から冷凍チキン』(以上集英社文庫)。サラ・ボーム『きみがぼくを見つける』(ポプラ社)、タヤリ・ジョーンズ『結婚という物語』(ハーパーコリンズ)、ケイト・クイン『戦場のアリス』(ハーパーBOOKS)など訳書多数。
Photography_TORU OSHIMA.
Text_TORU UKON(Righters).