Them magazine

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BOOK
Jul 01, 2022
By THEM MAGAZINE

【今月の一冊】キム・スム『Lの運動靴』

生の証明

思い出の品が語りかけてくるといった経験は、誰しもあるはずだ。

 

韓国の美術修復家の男性のもとに持ち込まれた「L」という人物の片方の運動靴。Lが何者かという説明がないまま物語は進行するが、主人公が運動靴の修復を行っていく過程で、Lを取り巻いていた時間や真実が徐々に明らかになっていく。そして主人公は、完璧に修復することが果たしてLにとって、そして自分にとって正しいことなのかと苦悩する。Lについて思いを馳せる場面では、マルセル・デュシャンやレンブラントなどの作品にまつわるストーリーがたびたび登場。10作以上もの有名な作品の逸話が効果的に使われている。実はLとは、李韓烈という名の学生。1987年、大学で開かれたデモの最中、警官が発射した催涙弾に打たれ、25日間の生死をさまよい、20歳で亡くなった。当時の韓国では軍事独裁政権による弾圧の時代が続き、民主化を求める抗議運動が活発化。悲しき事件は大統領直接選挙制のきっかけにもなった。彼は民主運動の象徴的な存在であり、記念館が造られるほど韓国では知られている。

 

著者のキム・スムの8冊目の長編小説となる本書は、2016年に韓国で刊行された。キムは、この靴の修復作業が行われることを耳にしたとき、すぐに小説にしたいと考えたそうだ。修復担当者の講義を聴き、インタビューを重ね、修復作業が完了するまで見守った。修復プロセス、美術作品、李韓烈の周辺人物への緻密な調査がもたらす描写からは著者の執念が感じられるだろう。作業室に籠もり孤独に修復を行う主人公と一体化し、遺品が見たLの意思にどんどん近づいていく。

『Lの運動靴』

AUTHOR キム・スム
TRANSLATOR 中野宣子
PUBLISHER アストラハウス

KIM SOOM

キム・スム 1974年蔚山生まれ。大田大学社会福祉学科卒業。韓国で最も活躍している小説家の一人。1997年のデビュー以来、現代文学賞、大山文学賞、李箱文学賞などを受賞、約20冊以上出版している。著書に短編集『闘犬』『ベッド』『肝臓と胆嚢』『ククス』がある。長編小説には『白痴ども』『鉄』『私の美しい罪人たち』『水』『黄色い犬を捨てに』『女たちと進化する敵』『針仕事をする女』『さすらいの血』など。邦訳作品は『ひとり』(岡裕美訳 三一書房)。

中野宣子

なかののりこ 福井県出身。韓国語・朝鮮語翻訳家兼講師。1987年、韓国延世大学校韓国語学堂に語学留学。訳書に、朴婉緒『結婚』(学藝書林)、ヤン・グィジャ『ソウル・スケッチブック』(木犀社)、権仁淑『母から娘へ――ジェンダーの話をしよう』(梨の木舎)、キム・タククワン『愛より残酷 ロシアン珈琲』(かんよう出版)、権赫泰・車承棋編『〈戦後〉の誕生――戦後日本と「朝鮮」の境界』(新泉社)などがある。

 

Photography_TORU OSHIMA.

Text_CHIHIRO YATA(Righters).

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