Them magazine

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Editors Voice
Jan 16, 2025
By TORU UKON (Editor in Chief)

Memory of A Day Vol_2

Vol_002  1986年秋のトライアルマスター

洋服にはストーリーがある。

それが生まれてきた背景。それが流行った時代。それを着る人のこだわり。

 洋服はもちろん、洋服にまつわるストーリーが、大好きだ。

 だから、何十年も洋服と向き合ってこられたのだと思う。

 これは、私が愛した洋服の思い出話です。

 

 

「いつからそんな柔らかい服、着るようになったんだ?」

ハーレーを乗り回していたアメカジのショップの方に、何十年ぶりに逢ったとき、僕は思わずこんな挨拶をされた。

僕は雑誌の編集アシスタントを始めて1年ほどで、バイク雑誌の仕事についた。バイクのことは当時の高校生が話題にする程度しか知らず、専門誌の仕事ができる力はなく、毎日オーソリティと呼ばれる方のもとで勉強させられた。内燃機関については、あまり興味を持てなかったが、ライダーたちのファッションには強烈に心を奪われた。ライダーのスタイルは質実剛健。タフでハードでワイルド。現代のカウボーイ。オーソリティたちからそう教わった。

以来、バイク乗りが好きそうなレザージャケットやブーツなどをリースしまくる毎日が続いた。今は無くなったが、渋谷のパルコの近くにある「東京の元祖アメカジショップ」と呼ばれる店(当時のファッション好きなら誰もが知っている)に何度も通った。《バンソン》やら《レッドウィング》やら、とにかくゴツい革製品がやたらと置いてあるショップだった。そのスタッフの一人がとにかくバイク好きで、行くと必ず「クラッチってのは、女の唇よりもデリケートに扱わなきゃならない」だとか、「ナナハン(750ccのバイクのこと)なんて、倒れても3秒で起こせない奴は乗っちゃいけない」だとか、そんな話ばかり聞かされた。

彼は、同じ調子で、「革ジャン、革パン、エンジニアブーツを着こなせなきゃ、バイクに乗る資格はない」という頑なな哲学を持っていて、バイク雑誌の編集者である僕にもそれを求めた。その当時は、「確かに、そうですよね。バイクに乗る男なら、当然です」などと調子良く頷いていた。しかも、そのスタッフが熱弁する「バイクに乗る男のスタイル」について、彼のバイク熱が伝染したかのような熱い記事を書いていた。その店にはスティーブ・マックイーンが表紙の『LIFE』誌がディスプレイされていて、彼をライダーのファッションアイコンとして何度掲載したことか。当時のバイク乗りの間では、マックイーンは神で、誰もが彼を崇めていた。

《ベルスタッフ》トライアルマスターの後継モデルであるロードマスター。トライアルマスターよりも着丈が長く、スリムになった印象。かなりのオイニィだ。

とはいえ、それほど熱心なバイク乗りではない僕には、《バンソン》やら《レッドウィング》は、ちょっとオーバースペックで(というよりも硬く重く、ゴツ過ぎて)せめて《ベルスタッフ》や《ティンバーランド》で許してもらっていた。

そのスタッフのいる店では、2階に古着も扱っていて、そこで、ワックスドコットンの《ベルスタッフ》トライアルマスターを見つけた。《バブアー》のインターナショナルもあって、胸のワッペンがなければ、どっちがどっちだかわからなかったが、そのスタッフから「男っぽいのは、トライアルマスター」と説かれ(実際、彼はトライアルマスターがスコットランドで誕生したレースなどを、まるで見てきたかのように詳しく語ってくれた)、その後継モデルであるロードマスターを購入することにした。。当時はすごい蘊蓄があるんだけれど、ちょっと面倒臭いアメカジ男が、そこら中のショップにいたものだった。

しかし、そのロードマスターは、どこかの演歌歌手の厚化粧のように、何重にもワックスが塗り込まれていて、他のワックスドコットンよりも重く、硬く、臭かった。電車では、女子はもちろん、男のサラリーマンでも、僕の隣からスーと離れていった。スコットランドでは男臭いトライアルマスターも、東京では男臭過ぎた。

以来、大雨の日にはマンションの外に雨晒しにしたり、ロケで山中湖に行った際は、湖畔に浮かべたりしたのだが、ワックスは全然取れなかった。男気を頑なに貫くよりも、女の子に好かれることのほうが、人生としては真っ当だと思い、僕はロードマスターを「サンタモニカ」という古着屋さんのビニールのショッパーに入れて、クローゼットの奥にしまった。

《Scye》のトライアルライダー・ジャケット。厚手のコットンツイルで、腕や身頃もタイト気味。ライナーがオレンジ。こちらも年季ものだが、未だに愛用。
くるみボタンがかわいい《ナンバーナイン》のコーデュロイのトライアルライダー・ジャケット。今発売中の『Them magazine』056号のP035で太田莉菜さんが着ているものと同じモデル。

バイクのレースには、ロードレース、モトクロス、そしてトライアルと3種目の世界選手権があることも、バイク雑誌の編集をして覚えた。あの大きなフラップポケットは地図を入れるためにあるのだ、ということも知った。アービンシャツから始まった僕のフラップポケット好きは、このライダースジャケットでも変わらなかった。男っぽさに欠けると言われた《バブアー》の、4つのフラップポケットがつくビデイル(こちらは乗馬用として誕生)も購入した。ワックスのないコットンギャバジンのトライアルマスター風ジャケットを《サイ(Scye)》がリリースしたのもその数年後に購入。宮下貴裕くんが《ナンバーナイン》のころ、コーデュロイで作ったトライアルマスター風ジャケットも手に入れた。男っぽさはどんどんと薄らいでいったが、僕はトライアルマスターのデザインがツボだった。

そして、数年前、《チンクワンタ》のスエードの4フラップポケットのジャケットを着て、例のバイク好きのショップスタッフに逢ったとき、「随分と軟弱な服を着てるな」と言われたのだ。その方は僕よりも5歳は年上で、おそらく60は超えていただろうと思うが、30年前と変わらず、《バンソン》の上下だった。男気一筋。洗濯できないレザーならば、男臭さも30年熟成。彼はカシミヤやシーアイランドコットンやラムレザーを着ることはないのだろう。そんな柔らかい服を着たら、硬い氷が溶けるみたいに、男意気が細ると信じているのだろう。ストイックなまでに無骨な生き方には尊敬するが、僕には無理。良いか、悪いか、ラグジュアリーブランドというワクチンを何年も打ち続けてきたおかげで、80年代にバイク乗りの先輩たちから教わったタフでワイルドな「男気至上主義」に発熱することはなくなりました。

《チンクアンタ》のスエードレザージャケット。トライアルライダー・ジャケットというよりはパラシュート部隊のジャンパーのようだが、ウエストベルトはなし。柔らかいので、「女が着るような服」かもしれない。
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