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FASHION
Jul 29, 2020
By KO UEOKA

山岸慎平、《ベッドフォード》の10年目に語る|後編

PHOTOGRAPHY_KOICHIRO IWAMOTO.

TEXT_TATSUYA YAMAGUCHI.

 

 

「自分のために服を作ってきた」と明言する《ベットフォード》の山岸慎平は、パンデミックの渦中にあった2021年春夏コレクションの制作中に明らかなマインドの変化があったと話す。後編は、ランウェイショーを初めて開催した2016年以降を振り返りながらクリエーションの根幹やメソッドに迫り、20シーズン目を語ってくれた。

前編はこちら。

 

東京にて初のランウェイ。そしてピッティ、パリへ。

 

——ブランドヒストリーの転換点のひとつかと思いますが、2016年に東京でファッションショーを行いました。ヤイエルの音楽とともによく覚えています。ショーという発表方法は、ブランドをスタートしてからずっと想定していましたか?

 

うん。あの頃、東京コレクションが「つまらない」「やる意味がない」という意見をよく耳にしていて、一方、自分でやってみないことには何も判断ができないし、自分の答えが欲しかった。ショーに関しても、僕はコレクションブランドにいた経験がないですし、消費者として触れるか、誌面上で触れるかというレベルだった。それで、ブランドがちゃんと飯を食えるようになったぞ。じゃあ、ショーをしよう、と。結果的にはやってよかったですよ。僕はやる意味を見つけられたしね。

 

 

——東京都が主催し、パリでのショールームの場を提供する「Tokyo Fashion Award」を受賞したのはその翌年。同時期に、海外にも展開をひろげていこうという考えもおありだったのですか?

 

そうですね。東京でショーをやるシーズンに海外のショップからオファーが来るようになっていたんです。どんどん欲が出てきて、このコレクションを持って行ったらどうなるのかと考えていたときに、「アワードに応募してみないか?」という話があった。けっこう、迷いました。専門学校に行っていないからか、何で評価されるのかがいまだにピンときていないんです。なによりも袖をとおさない服のことを考えたくないですし。Tokyo Fashion Awardに関しては純粋に海外でみせるチャンスだと思いましたが、今のところ他は考えていません。

 

2019SSコレクション
2019SS、ピッティウオモでのランウェイ。

――パリのショールームでコレクションを発表するようになった後に、ピッティでのショーですね。

 

半年以上前から声をかけてもらって、第一に嬉しいと思う一方で、困惑もありましたね。「ずいぶん遠くまで来たな」という感覚もあったし、ちょうど《アディダス》とのカプセルコレクションの話がまとまったタイミングで、膨大な仕事量に追われながら何も考えられず、バタバタと日々を過ごしていて体調も崩してしまったりと、実はピッティでのショーの日が自分の誕生日なのも含め、色々と考えてしまいました。勝手に1人でグッときたり、何はともあれ、すごい経験をしたなと。あの時は、忙殺される状況に嫌気がさしていたけど。

 

 

――以降、ミラノで2シーズンにわたってショーを発表されてきました。東京と、海外のランウェイは違いましたか?

 

個人的には、まったく一緒です。やり遂げたときの高揚感も同じ。ショーを観にくる人が日本人だけじゃないという違いはあるけど、ミラノでやるから、フィレンツェでやるからといって変わらなくちゃいけないとは思えなかった。かっこつけるわけじゃないけど、自分の根っこの部分は変えられないし、これしかできない。とはいえ、今はパリでやりたいという気持ちがありますよ。意味を求められると「ただやってみたい」という素直な理由だけなんですが。

 

 

――今年1月のパリ・メンズファッションウィークで《メゾンミハラヤスヒロ》の会場でゲリラショーを開催されました。その経緯を教えていただけますか。

 

パリへの思いがあった上で、ゲリラという選択は、消去法でしかなく、観てもらえるなら大勢の人に向けたいけど、自分たちのコネクションでは、海外のプレスと満足できるコミュニケーションがとれない。だったら、オンスケジュールで発表するブランドの客入れのタイミングで勝手にモデルを歩かせればいいんじゃないか、という実に素人的で身勝手なことを思いついて。そのタイミングで三原さんが声をかけてくれて、話が盛り上がって、といった流れです。三原さんはずっと、「なぜパリでやらないんだ」と言い続けてくれていた人だったので。本当に感謝しています

 

 

――三原氏にショー終幕後のバックステージで《ベッドフォード》について尋ねると、「自分の美意識に従っていて、羨ましく思う」と語っていたのは印象的でした。ご自身ではどう思いますか?

 

それは本当に嬉しいですね。僕は自分のために服を作っているとはいえ、誰かを不快に思わせてしまうことだけはやっちゃいけないと思っている。そういう観点でいうと、自分では着ませんが《ルメール》なんかに最近は強くそれを感じていて、なんて雰囲気の良いブランドなんだろうと思います。彼らに倣っても仕方ないですが、自分の美意識や確固たるものに従っていきたいとは、常に思っています。

2020-21FW コレクション
2020-21FW コレクション
2020-21FW コレクション
2020-21FW コレクション

「俺は自分のためにつくっているんだ」

 

——インスピレーションはどういうところから得るのですか?

 

けっこう、その時々ですね。共通しているのは、「なんでこうなんだろう?」という、僕自身の日常の中から生まれた疑問や葛藤。それを、掘り下げることですかね。芸術の中から芸術は生まれないと思っているので、映画や音楽がもっとも題材から遠いところにあります。

 

 

——今のお話もまた、すべて主語が、山岸さんですね。

 

本当に主観でしかないんです。気分屋だし、人に委ねるギリギリまで粘る。つくっていくプロセスでは人の手に渡っていくようにお願いするんですが、つまり伝言ゲームとおなじで、そのゲームを「軽い気持ちでやっちゃダメだ」と相手に思わせることが重要。僕の第一声の伝え方が強ければ強いほど、最後の最後まで鮮度を保っていけると思ってる。

 

 

——エレガンスは《ベッドフォード》を語るうえでの大切なキーワードになるように思います。佇まいや、人と服が同時に動いた瞬間に立ち現れるムードを見ていて感じます。

 

それは嬉しいです。「エレガンスとはどういうものか?」と尋ねられた僕の回答は、東京やNY、パリだとかの大都市で、コートをかっこよく着ている男性の姿なんです。雪国の石川県から秋口の東京に初めて来て一番感動したのが、田舎だと曇りか雨しか降らない季節に、青空で大人がコートを着ていたこと。しかも、ダッフルコートじゃなくて、スーツの長い版だと(笑)。あの姿を見たときに本当に心打たれたし、その像が、僕の根幹にくさびのように打ち込まれている。ライダースとマウンテンパーカーしか持ってない自分がめちゃくちゃ子供に感じました。生地が揺れるさま、身体との間に流れる空気、形容し難い佇まい、着る人の姿勢やスタイル。コートがあれば大丈夫だ、という期待感もかっこいい。そういったことをなんとか洋服で表していこうというのが、ずっと服作りの根底にある。もっと言うと、「この一着でそれを伝えてやろう」という熱量で春夏も秋冬もコートを作り続けています。着丈が118センチくらいの長いものが個人的には好きです。コートは大人の服。そこにも憧れのようなものを感じます。

2021SSコレクション
2021SSコレクション

——デザイナーとして幸せを感じる瞬間は? そして、10年目を迎えて思うことはありますか?

 

幸せを感じること……たくさんありますよ。第一に、ひとりで何をつくろうかと自分と向き合っているときは苦しいけど贅沢な時間で幸せ。そして、好きなことで飯が食えること。これも幸せ。これまでの10年間でやってきたことに後悔はまったくありませんし考えもあまり変わりません。10年たってもやりたくないことはやりたくないし好きなことだけをやっていたい。ただクリエイティブファーストが会社としての理念でもある以上、次の10年をブランドとしてだけではなく、会社としてどうしていくかは大きな課題です。やりたいことをやるためのお金は必要、贅沢をするためのお金ではなくて、でも先に言ったように、やりたくないことはやりたくないと……悩ましいです。

 

 

——ファーストシーズンで売れるか定かでないレザーをつくったときもそうだった。

 

うん。プリントTシャツはないし、ブランドロゴが入った服もつくったことがない。ただ、今回のコロナをきっかけに少し変化があった。変な言い方かもしれませんが、主観という点は変わってないかもしれませんが、初めて人のことを思ってつくったコレクションになった。

 

 

——2021年春夏コレクションですか? このパンデミックが、山岸さんの考えを変えた、と。

 

そうですね。正直、自分がやっていることが無意味に感じ、情けなくって、「つくりたくない」状況にまでなっていた。実は、1年の半年は東京、半年は自分が行きたい海外に身をおこうという計画があったんです。自分が何を感じとるのか知りたかったから。それもパンデミックで無理になって、上手くいえない寂しさも生まれていた。外に出ることもできない。本を読んでも、映画を観ても落ち着かない。何をどう受け止めてもしんどいって。そんなときに、友人たちは、今どうしてるのかと思ったんです。単純に友達と会いたいし、一緒に遊びに行きてえな、と。そうすると、なんてことのない思い出が浮き上がってくる。「チェックとボーダーは無地なんだよ」って言っていた奴の言葉を思い出したり、「あいつはこういう服が好きだよなあ」だとか。それが、「この服をこうデザインしたら、あいつは喜びそうだな」と発想がいつの間にか変わっていって。初めてのやり方で楽しかったですよ。

 

 

——そうした思い出をインプットし直して、友人たちをモデルにフィッティングしているようなイメージですか?

 

まさに、それです。身近な人が前に立っていて、自分ならどういうものを彼らに着させたいか。それでいて、自分も着たいというギリギリのエゴを入れることができるのか。

 

 

 

——「つくりたくない」というメンタルから、なんとか立ち上がった感じですね。

 

10年間洋服をつくってきて入り口でこんなにイライラするのも初めてでしたし、本当はインドでやりたいことがあったんですが、向こうがロックダウンでそれどころじゃなかったり、思いついても実現できないことが本当に多かったコレクションでしたね。「自分のやってることに意味あるか?」と自問自答するたびに、「いやいや、そもそも意味なんてなくて、俺は自分のためにつくっているんだ」と、無理やり立ち戻ってきた。思春期のころに憧れた今はない世界があって、理解できないことに悩みながら、自分のためにやってきた。そういう戻れる場所があって良かったと思えているし、それを今でもこうやって話せて、続けられているのは、友人をはじめ周りの皆様のおかげなんだと改めて思えて、幸せです。

山岸慎平

石川県出身。上京後、東京の古着屋を経験し、《ジェネラルリサーチ》に勤める。2010年7月、現在は代表を務める高坂圭輔と共に、株式会社バースリーを設立し、《ベッドフォード》をスタート。2011年春夏から展示会形式でコレクションを発表。2017年春夏シーズンの東京ファッションウィークに初参加し、ランウェイショーを開催。東京都が主催するTokyo Fashion Award 2017を受賞し、同賞のサポートプログラムとしてパリで開かれるshowroom.tokyoに、2017年秋冬から2シーズン参加。2018年6月、イタリア・フィレンツェで行われるピッティ・イマージネの招待デザイナーとしてランウェイショーを開催。翌シーズンから2シーズン、ミラノ・ファッションウィークに参加。2020年1月には、《メゾンミハラヤスヒロ》のショー中にゲリラ的に参加し、パリでコレクションを発表した。2021年春夏の発表で、10周年を迎えた。

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