Them magazine

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MUSIC
Jan 05, 2024
By THEM MAGAZINE

LP RECORD JACKET COLLECTION Vol_05

レコードジャケットには名画のように、ずっと見ていられるものがある。大きくプリントされたジャケットを見つめているとその中で表現されるアートワークについて熟考したくなってしまうのだ。聴く行為以外にも12インチの四角いアートワークについて想いを巡らせる時間ができるレコードには、無限の幸がある。

 

今回で、第5弾となる編集部が独断と偏見でセレクトした「目と耳で満足させられるLP」を紹介するLP RECORD JAKET COLLECTION Vol_5。

 

 

THE STONE ROSES / THE STONE ROSES (1989)

 1980年代末から90年代初期にかけて、マンチェスターで突如起きた“マッドチェスター・ムーブメント”。わずか数年であっけなく終焉したが、あの異様なほどの熱気と独自のシーンは世界中を虜にした。当時のマンチェスターのキッズはクラブ・ハシエンダに通い、ドラックに酔いしれながら一晩中踊り狂ったのだ。そんな60年代のヒッピーを彷彿させる快楽主義的なレイヴシーンは、“セカンド・サマー・オブ・ラブ”(サマー・オブ・ラブの再来)とも呼ばれた。

 

そこで最重視されたのは“踊れるかどうか”。音楽ジャンルは関係なく、なんでもありだった。そんな中ニュー・オーダーを筆頭にロックにハウスのビートを融合させたアーティストが数多く出てくる。プライマル・スクリーム、ハッピー・マンデーズ、インスパラルカーペッツ、ザ・シャーラタンズ、オーシャン・カラー・シーン、808ステイツなどなど、シーンを作ったアーティストの名前を出すとキリがないが、この時代を語るには欠かせないバンドがストーン・ローゼスだろう。

 

マッドチェスターの脈絡を得た彼らのスタイルは、それまでの音楽都市を中心としていたロックアーティストとは一線を画していた。“90年代はオーディエンスの時代だ!”という、ギターのジョン・スクワイアの有名な発言がある通り、彼らのステージは薄暗く、スポットライトはメンバー達ではなく、オーディエンスを照らす。

 

ライブやPVでさえもハシエンダに通うクラブキッズたちと同じように、オーバーサイズのでかでかのジャージにデニムの普段着を着て表舞台に立った。あえて気取らないストーンローゼスの思想は、パンクが衰退した頃のUKの若者にとっては、新しい風かつクールに見えたに違いない。

 

ファッションにおいても、マッドチェスター特有のスタイルがあり、若者達はこぞって《アディダス》、《ポロ》、《ストーン・アイランド》のアイテムにでかでかのバギーパンツを履いた。そんなシーンの渦中にいた彼らだが、ストーン・ローゼスのおしゃれさんといえば、ドラマーのレニだと個人的に思う。お馴染みのバケットハットに加えて、彼はいつもTシャツも首元まできちんと詰まった服をきている。ブルゾンやシャツまでもしっかり首元まで閉めている。多分彼の好みであり流行りの着こなしだったと思うが、年を取っても揺るがないその固執したスタイリングは、首元のゆるい服が相当嫌なのか、首ががっしりしているからそう見えてしまうのかついつい考えてしまう・・・。

 

このセルフタイトルであるストーン・ローゼス の1stアルバムは、マッド・チェスターが衰退した後も名盤とされている。その理由のひとつにビートルズ、ピンク・フロイドなどのレコーディングに関わり、後にスウェード、レディオ・ヘッドなども手掛けるジョン・レッキーがプロデューサーとして加わっているからだ。彼がストーン・ローゼスを世に送り出した中心人物といってもおかしくないほどに、ジョン・レッキーが成した音作りの功績は大きい。彼は二枚のアルバムを途中まで担当しているが、自由気ままなジョン・レッキーにバンドメンバーはついていけなくなり、途中で終わってしまった。

 

アルバム内の「Bye Bye Bad Man」は1968年のパリの五月革命を歌った楽曲。このアルバムのジャケットデザインも五月革命をコンセプトにギターのジョン・スクワイアが手がけている。ジャケットのレモンのスライスは、若者たちが催涙ガスの痛みをやわらげる為にレモンを絞って飲んでいたというエピソードから来ている。バックにあるペンキのペイントはアメリカの画家ジャクソン・ポロックのオマージュ。ギターのジョン・スクワイアはかつてからジャクソン・ポロック敬愛しており、ペンキをぶちまけたようなアートワークが数多く登場する。ペンキのアートワークが印象的な彼らだが、有名なペンキ事件というものがある。元所属レーベルだったFMリヴォルヴァー社が、ストーンローゼスのかつてのシングル「サリー・シナモン」をバンドのブレイクをきっかけに勝手に制作したプロモーションビデオとともにリリースした。それに激怒した彼らは、青と白のペンキを持ってFMリヴォルヴァー社の襲撃。オフィスから車まで、社長やその彼女でさえも、ありとあらゆるものをペンキまみれにした。襲撃後にメンバー4人は逮捕されたが、PRを兼ねての行動だった。バンドの思惑通りこの騒動で、バンドの知名度は上がったのだ。

 

 

 

The La’s/  The La’s(1990)

マッドチェスター・ムーブメントが吹き荒れるイギリスの中で、ある意味異質で伝説的なバンドといえば、ザ・ラーズだろう。デビューアルバムはリリースから30年以上が過ぎた今でも大名盤として語られているが、なんと彼らはこのデビューアルバム一枚で、解散してしまう。マンチェスターの隣町、リヴァプール出身の彼らのサウンドは、60s的アコースティックロック。マッドチェスター・ムーブメントで主流だったダンスビートを用いたサウンドとは逸脱していた。

 

彼らがこの一枚のアルバムのみで表舞台を去った理由のひとつに、ボーカルのリー・メイバーズの病的とも言える音へのこだわり、いわば完璧主義すぎることが原因と言われている。1989年からアルバム制作を始めて2年経っても一向にアルバムの完成が見込めなかった彼らに、レコード会社は半ば強行突破で名プロデューサのスティーヴ・リリーホワイトを迎える。これに対してセルフプロデュースを望んでいたバンド側は大激怒。要望を無視したことを腹いせにバンド側は楽曲の制作を放棄してしまった。結局スティーヴ・リリーホワイトが一人でアレンジ、ミックスを行いアルバムを仕上げることになった。リリースしてもなおリー・メイバーズは納得がいかずこのアルバムに対して、「本当に大嫌い」、「聞くな」とまで言ったアルバムだったが、皮肉にもこのアルバムは今もなお名盤として語られ続けられている。

 

ビートルズの再来とまで言われ大スターになる要素があったザ・ラーズ。その後惜しくも表舞台から姿を消すことになるが、彼らの影響は根強いものであり、ブリットポップの大御所、オアシスも彼らを敬愛している。

 

しばらく活動を休止していたザ・ラーズだったが、突如2005年に再結成。日本でもライブが行われることになったが、偶然オアシスと同日かつ同じ時間、会場も一緒のフェスの違うステージでライブが行われることになった。しかしオアシスのライブは大幅に遅れてのスタート。ファンの中では、ギャラガー兄弟は絶対にラーズを見に行ってる、など噂がたった。はっきりとした真相は不明だが、ファンの間ではその噂の信憑性が高いと信じられている。それほどギャラガー兄弟がザ・ラーズのことを敬愛していたのはファンの中でも周知の事実だった。

 

リアム・ギャラガーとリー・メイバースの音楽的な共通点は多々あるが、個人的に挙げるとすると二人とも顔が似ている。リアム・ギャラガーにしろリー・メイバースにしろ、イアン・ブラウン、ザ・シャーラタンズのティム、ライドのボーカル、ザ・ヴァーヴのリチャード、ミック・ジャガーなどロックスターに共通することといえば、みんな眉毛が太く、耳が大きく顔が少し似ている。もしかしたらロックスター顔というものがあるのかもしれないと考えると面白い。

 

 

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