Them magazine

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MUSIC
Jan 15, 2024
By THEM MAGAZINE

LP RECORD JACKET COLLECTION Vol_06

ジャケットから取り出し、オーディオ機器に盤を置いて針を落とす行為は、自ずと一つのアルバムに対してじっくり時間を割くことになる。手っ取り早くより多くの音楽を聴けるサブスクも良いけれど、手間がかかるレコードならではのかけがえのない時間は愛おしく、いつの時代になってもレコード文化は果てないものでいてほしいものだ。

 

今回で、第6弾となる編集部が独断と偏見でセレクトした「目と耳で満足させられるLP」を紹介するLP RECORD JAKET COLLECTION Vol_6。

 

The Style Council/Café Bleu(1984)

イギリスのモッズパンクバンド、ザ・ジャムを人気絶頂の中で突如解散したボーカルのポール・ウェラーは、すぐさまミック・タルボットと共にスタイル・カウンシルを結成。ザ・ジャムから一転、パンクとはかけ離れたスタイリッシュなサウンドとフレンチアイビー的な彼らのファッションは当時の若者を中心に絶大な注目を浴びる。

 

1980年代前半、ロンドンでクラブカルチャーが発展する中、ジャズ、ソウル、ブラックミュージックなどの幅の広い音楽が受け入られるようになった。それに食いついたザ・ジャムのボーカル、ポール・ウェラーは人気絶頂のバンドを突如解散。パンクから一転、世界の音楽に目を向けたスタイリッシュなサウンドのスタイル・カウンシルを結成し当時の若者を中心に絶大な注目を浴びる。

 

バンドの首謀者ポール・ウェラーは、英国を代表するフッション・アイコンだ。ジャム期のモッズスタイルも難なく着こなしていたが、スタイル・カウンシルでは“パリっぽい”着こなしへと変貌を遂げる。《アクアスキュータム》のステンカラーコートを羽織り、細身の濃紺デニムをロールアップ。足元にはレザースリッポン。ペイズリーのスカーフをラフに巻き、襟を少し立てた着こなしは、英国人とは到底思えないほどのフレンチ・シックであり、パリっぽさを見事に体現している。このサイモン・ハーフォンが手掛けた雑誌のようなジャケットの1stアルバム『カフェ・ブリュ』で、フランス風な粋な着こなしを世に知らしめたのだ。当時の日本でもフランスという国への憧れを若者に植え付けたのは彼らだった。2ndアルバムの楽曲は日本のTVでも流れる程に人気を博す。古着屋やカフェなどいわいる当時の日本のおしゃれなスポットでBGMとしてかかりまくっていたのだ。また同世代のバンドにはみられなかった彼らの“力の入っていない知的さ”は、音楽性含めジャケットデザインに至るまで、フリッパーズギター、オリジナルラブなどの日本の渋谷系バンドにも大きく影響を与えている。

 

当時ポール・ウェラーがよく履いていたのが、タッセル・ローファー。同時期に《ローク(LOAKE)》のタッセルローファーが日本でも流行したが、彼の履いている物は《ローク》ではない。スタイル・カウンシルの1987年にリリースされた「Waiting」のジャケットで履いている彼のローファーは、当時流行した《ローク》のエアソールではなく、そのブランドは未だに不明で個人的に気になってしまう。

 

The Pogues / Rum Sodomy & the Lash(1985)

歯なしの酔いどれシェイン・マガウアンを中心とするアイリッシュ・パンクバンド、ザ・ポーグズはケルト音楽とパンクを融合した独自のスタイルで、アコーディオンやバンジョーなどを用いた大所帯バンドだ。1985年にリリースされたこの2ndアルバムのジャケットは、テオドール・ジェリコーの絵画「メデューズ号の筏」をもとに、顔部分だけがバンドメンバーになっている。ユニークかつかなり毒々しいジャケットのこのアルバムは、ミュージシャン兼作曲家のエルビス・コステロがプロデュースしている。その際に知り合ったバンドの唯一の女性メンバーでペーシストのケイト・オリオーダンとコステロは結婚。ケイトはコステロのツアーに同行するためにそのまま脱退してしまう。

 

そんなポーグスのフロントマンであるシェイン・マガウアンは、常にぐでんぐでん、酒とタバコを片手に歌う姿は、ある意味“ロックンロール”だった。唯一“素面”だったステージはかつて彼が崇拝していたクラッシュのツアーサポートの時のみとのこと。そこから続く彼とクラッシュのジョー・ストラマーの関係は根深いもので、ポーグスの4thアルバム『ヘルズ・ディッチ』はジョー・ストラマーがプロデュース。そのアルバムを最後にシェイン・マガウアンはドラッグやアルコールへの依存が原因で脱退することになるが、彼の代役に手を挙げたのはジョー・ストラマーだった。バンドのフロントマンがクビになるという異例の出来事だが、10年後には再結成を果たしている。

 

そんな彼の破天荒すぎる音楽人生を題材にした映画が上映されたが、ジョニー・デップが制作として関わっている。ジョニーとシェインはは30年来の友人だ。年がら年中酔っぱらっていて“素面”の所を見たことがないとシェインの周りの人はいう。その繊細がゆえ破滅的な生き方になってしまう彼の音楽は、人の心を和らげるのだ。マガウアンのしゃがれた味のある声に民族楽器のご機嫌なサウンド、大きいジョッキのビールを片手を乾杯したくなる陽気さを持っている。

誰もが愛してしまうそんなシェイン・マガウアンは、2023年の11月30日惜しくも逝去。65歳という若さである。

 

 

Elliott Smith / XO (1998)

1994年、カート・コバーンが自ら人生の幕を閉じた年に、アメリカから孤高のシンソングライターとしてデビューしたエリオット・スミス。オルタナ全盛期のシーンの中、無謀とも思われた彼のアコースティックでの弾き語りは、以外にもオルタナ世代のシンガーソングライターの代表格としてカリスマ的人気を博すことになる。

 

エリオット・スミスの音楽人生で大きな転機になったのが、名作『マイ・プライベート・アイダホ』、『エレファント』を手掛けたガス・ヴァン・サントの映画『グッド・ウィル・ハンティング』のサントラに曲を提供したことがきっかけだった。彼が制作した主題歌「ミス・ミザリー」がアカデミー賞にノミネートされたことで、メジャーレーベルDreamWorks Recordsと契約を結ぶ事となる。

 

『XO』はメジャー大手のDreamWorks Recordsに移籍した最初のアルバムであり彼の代表作ともいえる。LPはCDメインの1998年に180gの重量盤かつ数量限定でBong Load Custom Recordsから発売された。ジャケット中央に映っているアフロの男性は、カツラを被ったプロデューサーらしく、左端や右に写っているスミス本人より目立っているのが面白い。

 

ビートルズからインスピレーションを得た美しいハーモニーと様々な楽器を取り入れたエリオットの楽曲は大きな話題を呼び、一気にシンガーソングライターとして飛躍する。メジャーシーンへ駆け上がり始めた彼だったが、その重圧がゆえ、自殺未遂を図るほど深刻なうつ病に悩まされることになり、次第にはドラッグに依存するようになってしまうのだ。

 

その後数年に渡ってアルコールとドラック依存症に悩まされたエリオットは、警察にホームレスと間違われるほど精神的にも肉体的にも危ない状況が続くが、2002年には闘病期間を得てドラッグ中毒から脱去する。精神的にも良好、新作のレコーディングがほぼ終わりリリースが期待される中、翌年の2003年エリオットは突然、この世を去った。この『XO』のリリースから僅か5年のことである。34歳だった。真相は未だ不明であるが、自らの胸にナイフをつき立てたことが、死因と言われている。彼の死後には、生前制作していたアルバムと二枚のコンピレーションアルバムがリリースされた。

 

か細く囁くようなヴォーカルと美しいメロディは、心が苦しくなるほど美しい。その悲痛なまでの繊細さと優しさは、静かに心に訴えかけるものがあるのだ。没後、彼の築いた音楽性は現代の若手シンガーソングライターに根深く受け継がれていく。特にアメリカのインディー・ポップアーティスト、フィービー・ブリジャーズはエリオット・スミスへの敬愛を公言している。また、くるり『さよならストレンジャー』のクレジットのThanks To欄には、ジム・オルーク、ハイ・ラマズの他にエリオット・スミスの名も記載しているらしい。

彼の代表作と言われるこのXOは、キンと張り詰めた寒い空気感によく合う。これからの寒い冬の帰り道に聴いてみてほしい。

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