Them magazine

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MUSIC
May 16, 2017
By THEM MAGAZINE

『いまモリッシーを聴くということ』を読んで。

『いまモリッシーを聴くということ』を読んで。


 

僕は2015年4月から約一年間、ロンドンに留学していた。現地の大学ではなく授業時間の短い語学学校に通っていたため、「遊学」という方が正しいかもしれない。

 

ロンドンでは、駅周辺で朝刊と夕刊が無料で配られているので、英語の練習がてら毎日読んでいると、だんだんとイギリスのこと──カルチャーのみでなく、政治や経済について──が気になり始めました。

 

ブレクジット前のイギリス総選挙やパリのテロがあった年だったので、新聞にはポリティカルな記事は盛んに書かれていたが、大概そのような記事にはアカデミックな単語や難しい表現が使われていて、英語初級の僕にはたいへん厳しかった。そこで、日本語で書かれているものを探し、発見したのがヤフーに連載されているブレイディみかこさんの記事です。

 

ブレイディみかこさんは、ブライトンというロンドンから南に離れた海の近くの街にイギリス人の旦那と息子とともに長年生活している。ブレイディさんの記事は、移民だからこその、一歩引いて問題を俯瞰する鋭い視点で書かれている。そしてとにかくわかりやすく痛烈痛快な、独特の言葉運びに、僕はあっというまに引き込まれた。

そんなブレイディみかこさんが新著を出した。その名も『いまモリッシーを聴くということ』。ザ・スミスのボーカルとしてよく知られる、スティーヴン・パトリック・モリッシーの音楽についての本です。本書は、スミスとモリッシーが発表してきたアルバムを、年代をおって解説するディスクレビューという形式をとっていますが、その内容は音楽の解説書という枠を存分に超えています。本書をよむと、いかにブリティッシュ・カルチャーが政治/階級/経済と密接しているかがよくわかる。僕が文部科学省の人間なら、イギリスについて学ぶ人の教科書に指定します。

 

モリッシーは政治と常に戦ってきたシンガーで、彼が作る歌詞をみると、80年代から現在までの“リアルで地べたな”イギリスの政治状況を知ることができる。2016年のフジロックでは、SEALDsの奥田愛基氏の出演をめぐって「音楽に政治を持ち込むな」なんて騒動があったが、そんなの甚だしく見当違いで、音楽──特にロックやポップは、政治という題材を燃料としてその灯を保ち続けてきたのだ。

 

 

ザ・スミスは僕のフェイバリットなバンドだが、モリッシーのソロはそこまで聴いていない。モリッシーソロは、音楽的にはザ・スミスと比べると物足りないのだ。正直ジョニー・マーの軽快なギターサウンドに乗っかってこその、モリッシーの歌唱だとおもう。(個人的にはアンディ・ルークのベースもかなりザ・スミス・サウンドに貢献していると信じているが)

 

だから、モリッシーソロはそこまで好きじゃなかった。「サウンドと言葉の意味が同時に耳と脳に飛び込んでくる英語圏の言葉を話す人々」じゃないと、秀逸な歌詞の感覚というのは分からない。辞書をひいて意味を理解すること以上の感覚、たとえば言葉選びとのセンスとかね。この歌詞の感覚というのは、はっぴいえんどが「日本語ロック」を作ったのとおなじ理由だとおもう。モリッシーソロは、その歌詞が分からない人間には、そこまで面白いものではないのです。しかし、本書を読むと、それでも辞書を片手に少しでもモリッシーの言葉に耳を傾けたくなる。

 

 

イギリスのEU離脱や、ドナルド・トランプの大統領当選が浮き彫りした、社会における人々の“他階級/グループの分断”という問題。「遥か彼方の国のことだ。自分には関係ない」……いざ自分の周りを見渡してみると、これは、アメリカやイギリスのみに当てはまる問題ではないことに気づく。そんな2017年に、この遠く離れた極東の島国で、いまモリッシーを聴く意味とは何でしょう?本書の英題は『MORRISSEY GOOD TIME FOR A CHANGE』です。

 

 

『いまモリッシーを聴くということ』、面白い本でした。

 

(特に)UKロック好きは、ぜひどうぞ。

 

ザ・スミスで一番好きなのは、このライブの「Still Ill」。ジョニー・マーかっこ良すぎなんですが?

 

KO UEOKA

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