Aug 15, 2016
By TORU UKON (Editor in Chief)
ファッション雑誌講座 第1回「なぜ日本人がモデルではないのか?」
ファッション雑誌に興味のある学生の皆さんに向けた夏休みの短期集中講座を開いてみようと思います。
僕がファッション雑誌の編集を目指していた頃よりも、今は志望者が少なくなっているような気がします。そこで、少しでもファッション雑誌の編集に興味を持ってくれる若者が増えてくれれば、と思いブログを書くことにしました。
質問: 読者は日本人なのに、どうしてモデルは外国人なのでしょうか?
昔、母校の大学で講義をした際に、もっとも多くの学生から寄せられた質問です。
もっともな疑問です。
答え: イマジネーションが膨らまないから。
先日、NHKの朝の連続ドラマ『とと姉ちゃん』を観ていると、唐沢寿明演じる花山編集長が「モデルは君たちのような一般女性でなければ、意味がない」と言っていました。その通りだと思います。『暮らしの手帖』ならば。あのドラマで作られている雑誌は「一般女性たちの日々の暮らしに役立つ雑誌」です。
しかし、ファッション雑誌はそうではありません。ひょっとしたら、「日々の暮らしにまったく役に立たない雑誌」かもしれない。つまり、ファッション雑誌は服を買うための手引き(=バイヤーズガイド)ではないということです。
夏になったら海やプールに行きたい、そのために水着を買おうと思っている人に役立つ雑誌は、カタログ雑誌です。カタログ雑誌を非難するつもりは毛頭ありません。僕も水着を買うときはカタログ雑誌を手に取ります。しかも、日本には世界のどの国よりも優れたカタログ雑誌がたくさんあります。
モデルに話を戻しましょう。
ファッション雑誌を自負する『Them magazine』では、基本的に外国人モデルを起用します。
アメリカ人もいれば、ヨーロッパや南米もいます。ただ、どこの国のモデルかは重要ではありません。逆に、何人かわからないほうが想像が膨らむので良い場合もあります。ターバンを巻いたインド人や、切れ長の目を持つ日本人や韓国人では、想像が限定してしまいます。
では、日本人のモデルは絶対使わないのか? というとそうではありません。使うこともあります。韓国や中国のモデルを使うこともあります。それは、意外性を狙ったときです。また、日本やアジアを使う明確な意味があるときです。小誌では、南国のロケ地で花柄のプリントの服を撮影したときに、日本人のモデルを使いました。いかにも褐色のモデルではなく、日本人の肌や髪が、南国の汗をより表現できると考えたからです。「TEENAGERSONLY」という特集の際は、十代の日本人女性モデルだけでファッション撮影をしました。十代の日本人男性はもちろん、外国人男性モデルよりも、より十代を強調できると狙ったからです。
ただ、日本の雑誌だから。読者が日本人だから。といった理由で使うことはありません。
要は読者が、モデルの写った写真を観て、どれだけ「かっこいい!」と思ってくれるか、です。そのためには、誰もがよく目にするシーンやありふれたシーンでは、ダメなのです。
イマジネーションを喚起する際には、「リアリティ」は不要です。「憧れ」が必要なのです。
商店街を歩いている学生さんをモデルにすれば、リアリティはあり、親近感がわき、自分にもこの服なら似合うかな、と思う読者がいるかもしれません。しかし、何度も言いますが、それはファッション雑誌の使命ではありません。
外国人の彫りが深く、スタイルの良い外国人モデルのように、なれるわけがありません。それでも日本人読者は彼らに憧れ、少しでもあんな風になれればいいな、と願います。そこからイマジネーションが始まるのです。
では、リアリティはまったくいらないのか、というと、それは違います。
ロサンゼルスのスケートパークでファッション撮影をするとしたら、モデルは本当のスケーターを探します。スケートをやったことがないモデルを使っても、イマジネーションはふくらまないからです。ただし、本物のスケーターが普段着ているような服ではない服装をしてもらいます。それがファッション雑誌です。
では、なぜ、ファッション雑誌は、イマジネーションを膨らませる必要があるのか、
次回はそれについて語りたいと思います。