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FASHION
Aug 16, 2016
By TORU UKON (Editor in Chief)

ファッション雑誌講座 第2回「なぜモノクロの写真なのか?」

年寄りの講釈、を自覚しつつブログを書いたのですが、意外にもたくさんの方々に読んでいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

 

さて、今回のテーマは、ファッション雑誌は、なぜイマジネーションを膨らませる必要があるのか?

 

まずは、ファッション雑誌によく寄せられる素朴な疑問から。

 

質問:なぜモノクロの写真なのか?

 

カラーフィルムがなかった時代ならともかく、今はすべての画像が忠実に再現できる技術があるのに、なぜ、わざわざ色のない写真で表現するのか? これも、もっともな疑問です。

服の色も分からないし、そもそも服が見にくい。服がよくわかないのに、ファッション雑誌といえるのか?

 

答え:ぜんぶ見えすぎないほうが良い写真があるから。

 

私たちが日常、肉眼で目にするシーンをそのまま写真にしても、ファッション写真にはなりません。例えば、日本の路上で撮影すると、原色の派手な看板が見えたり、軽トラが駐車していたりします。道路のグレーも、街路樹の緑も、日常感満載。これじゃ、普段着すぎてファッション写真になりません。リアリティすぎて、憧れがありません。前回も書きましたが、ファッション写真には「リアル」よりも「憧れ」が必要なのです。

 

それなら、リアルさを少しでも消してくれるモノクロ写真のほうが良いのです。

モデルの肌色にも時には、生活感が漂うことがあります。リアルを消し、憧れを作るためには、肌色よりもモノクロがいいのです。モノクロ写真は黒の濃淡で色を表現します。色の濃い部分は黒でつぶれてしまい、時にはディテールがよく分からないこともあります。それを狙っているのです。つまり、見えないほうが良い。生地が安っぽいのか、高級すぎるのかわからないほうがいい場合があるのです。

色がちょっとボヤけているポラロイド写真を使うのも、同じ理由です。

写真がよく見えない、よく分からない。

でも、その写真がカッコよければ、読者は想像します。イマジネーションを膨らませるのです。
写真がはっきり見えると、誰も想像しません。イマジネーションは止まります。

 

写真がまだモノクロしかない時代。
人々は想像しました。目に見える現実は色で溢れているのに、写真には色がない。

情報としてはかなり不足しているのですが、その写真しか情報伝達手段がない時代では、情報の送り手も受け手も、想像を働かせ、イマジネーションを駆使して伝達したのです。リアリティには乏しいけれど、そこに見る人の心に響くアート性(=かっこよさ)があれば多くの人々に伝わる。アウグスト・ザンダーの写真がそうです。

 

そして、それはファッション・ブランドも望んでいることなのです。

 

もちろん、ブランドによっては「それじゃ、うちの服がよく見えないじゃないか!」と文句を言うところもあります。ファッション写真のすべてがモノクロと言うわけがありません。

 

しかし、中には「うちの服がよく見えるとか見えないとかよりも、カッコよく表現していただきたい」と言うファッション・ブランドもあります。例えば、自らメゾンのキャンペーン写真をすべてモノクロで撮っていたエディ・スリマンが在籍した《DIOR HOMME》や《SAINT LAURENT》がそうです。また、キャンペーン写真なのに、ほとんどちゃんと服が写っていなかった《HELMUT LANG》。服がちゃんと見えることよりも、大事なこと。それはそのブランドのイマジネーションを膨らませ、見ている人に「かっこいい!」と思わせること。それは、服をちゃんと見せることよりも何倍も難しいことです。そうしたニーズがあるから、ファッション雑誌は存在するのです。

 

では、そこに読者のニーズは存在しないのか? 読者は一部のファッション・ブランドやファッション雑誌の傲慢なポリシーに従うしかないのか?

 

次回、ご説明しましょう。

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