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BOOK
Dec 20, 2016
By TORU UKON (Editor in Chief)

日本のメンズ雑誌を支えた偉大なる編集者・寺﨑央

僕がメンズ雑誌の編集者を志したのは、この方の存在があったから。

 

寺﨑央。

 

1943年北海道生まれ。婦人画報社時代の『メンズクラブ』でキャリアをスタートさせ、その後フリーランスのエディターとして、『メイド・イン・USAカタログ』『平凡パンチ』『ポパイ』『ブルータス』などなどで大活躍。「史上最強の助っ人エディター』と業界ではリスペクトされた。

 

晩年は癌と闘いながらも、その闘病生活さえも本にして出版してしまう編集者根性には、下げた頭が亡くなってからも上がらない思いだった。

 

2012年逝去、その一周忌には、寺﨑さんを惜しんでアーカイブ本がマガジンハウスから出版された。

 

そして、2016年の暮れ。もう一冊、寺﨑さんへの多くのリスペクトが詰まった本がエンジェルパサー社から届いた。『伝説の編集者 H・テラサキの ショーワの常識』

 

ありがたい。

 

個人的に心の師として崇拝していた寺﨑さんの仕事を、こうして丁寧にまとめてくださり、心から感謝したい。

個人的に寺﨑さんを、心の師と仰いでいたけど、実際にお話したことはない。

 

何度もお見かけして、マガジンハウス社内では「こんにちは」「失礼します」くらいの挨拶はしたことがあったが、それ以上は畏れ多くて話すことなどできなかった。

 

僕の記憶が確かならば、上の長濱治さんが撮影したロケにはアシスタントとして参加したと思う。おそらくCBSソニー出版から発行されていた『サイクルワールド』という雑誌に掲載された一枚ではないだろうか。もちろん、その時も挨拶だけで、お話はできなかった。

 

その後、何度かご一緒にお仕事する機会はあったのだが、高校生の頃からの「憧れの人」とはどうしても面と向かうことができなかった。今思えば、なんともったいないことか。(ちなみに、矢沢永吉さんも同様の理由で、一度もお会いしたことがない。何度かインタビューや撮影するチャンスはあったのだが。次のチャンスは逃さないようにしないと……)

 

寺﨑さんを「テラさん」と呼ぶ方も多いが、僕にはとてもそんな呼び方はできない。「寺﨑さん」だ。

 

寺﨑さんの尊敬するところ。

 

まず、おしゃれでかっこいいところ。『ブルータス』でモデルをしている写真を穴があくほど見た。

 

次に、海のように知識が広いところ。サブカルなんてみみっちいこと言わず、ありとあらゆるジャンルに博識だった。短い文章にも、随時それが感じられた。

 

そして、好奇心が旺盛で、実行力が凄まじいところ。なんでもやってみる。どこへでも行く。

 

編集者が天命。

 

 

本当ならば、『月刊テラサキ』とか『週刊テラサキ』などご自身を100%注ぎ込んだ雑誌を出版なさっても大ヒットしただろうに、終生フリーランスのいちエディターであり続けたスタンスにも、感銘する。

 

高校生の頃、編集者に憧れていた気持ちに帰って、お正月休みにじっくり読んでみたい、そんな寺崎さんの1999年からのコラム集、『ショーワの常識』です。

 

本を送っていただいた寺﨑夫人の恵子さまに、心よりお礼申し上げます。

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