Jan 11, 2021
By TORU UKON (Editor in Chief)
Stay Home〜お家で『新春放談』を聴こう
大滝詠一が好きだ。(大瀧詠一と表記するほうが好きだ。だった、と書くの正しいか)
高校生のころにラジオ関東の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』を聴いてから、虜になった。彼が興したナイアガラ・レーベルから1975年にリリースされたシューガーベイブも当然好きになって、「ナイアガラ、からの〜」で山下達郎も好きになった。
正月休みに緊急事態宣言が重なって、いつもより長い休みになったので、YouTubeで大瀧詠一や山下達郎のコンテンツを探していたら『新春放談』というプログラムを見つけた。1984年の正月に始まって、2011年まで四半世紀以上続いた長寿正月特番である。
元々、1981年8月にNHKーFMの特番として、山下達郎と大瀧詠一の二人でスタジオライブを行ったのが、その後30年近く続いた二人の『新春放談』のプロローグだった。プロローグと言ったが、これはいまだにファンの間で伝説と語り継がれているライブで、エヴァリーブラザーズの楽曲を中心に全9曲を二人のギターとコーラスだけで聴かせてくれた(僕はたまたま生でこれを聴いていた)。これはその後一切レコードにもCDにもなっておらず、YouTubeでしか(?)聴けないという国宝級のライブだ。ちなみに僕が死んだら葬送曲としてこの番組で二人が歌った『Love Hurts』を流してもらいたいと願っているほど、素晴らしいハーモニーだ。
その数年後に、山下達郎のNHKの番組に大瀧詠一がゲストとして招かれ、二人の共通の趣味であるオールディーズのお皿をかけ、マニアックな話を繰り広げるというトーク番組がNHKからFM東京へと局をまたいで30年近く続けられた(途中、二人の後輩であり最大の理解者である萩原健太の番組に二人が招かれて鼎談するというスタイルが3年、佐野元春の番組での鼎談が1年存在する)。正月特番としてその年に2回か3回放送された1時間番組だから、全部聞くだけでも60時間くらいはかかる。長い休みにはぴったりだが、僕はクリスマス前から聴き始め、すでに昨日で2回り目を終えた。
30年前から始まった番組が全てYouTubeで全て聴けるのだから、ありがたい時代になったものだ。もちろん、途中録音状態が良いとは言えない回もあるのだが、それでも十分に楽しむことができる。
さらに素晴らしいことに、二人のファンが『新春放談』でかかった曲目リストを完璧にリストアップしていること。つまり、解説付きでこの放送を楽しめるというわけだ。僕がこのリストを活用して、山下達郎&大瀧詠一の選曲をそのまま自分のプレイリストにしたのは間違いない。
この『新春放談』の楽しみ方はいくつもある。
まずは、山下&大瀧の音楽的バックボーンを知ることができること。二人のファンならば、この学習は必然であり愉悦だ。しかもかなり奥深い。そんな学習をしていると、50〜60年代のヒット曲を単に“オールディーズ”などと一括りにするのが軽薄だと自省してしまう。
さらに、大瀧詠一の自説である「ポップス普動説」や「分母分子論」などの解説を数年かけて拝聴できる。具体例としての曲も紹介してくれる。これでさらに大瀧詠一への興味は深度を増してくる。
ここまで書くと、『新春放談』がいかにマニアックな番組であるかがわかるだろう。二人の対談の内容も、一回り目では半分くらいしかわからなかった。不明な固有名詞をウィキなどで調べ、二回り目でやっと3分の2くらいは理解できるようになった。
それでも、二人の会話はとにかく面白い。いつもイヤホンで聴きながら笑っている。どれだけ繰り返し聴いても飽きない。まるで志ん生の落語のようだ(志ん生が笑えない人にはつまらないかもしれないが)
そして、僕がこの番組の最も好きなところは、山下達郎の大滝詠一への愛である。それはリスペクトが昇華していった愛。山下達郎ほどのミュージシャンが、それほどまでに純粋に愛を表現するのは、大瀧詠一だけではないか。竹内まりや以上の愛情がリスナーには感じられるのだが。
1973年8月18日。山下達郎は大瀧詠一と邂逅。以来、大瀧が亡くなった今もなお、山下の大瀧への尊敬を超えた愛は変わらない。それは、山下の言葉の端々に感じられる。『新春放談』は大瀧が逝去する2年前の2011年で終了したが、2008~2010年の放送では山下の大瀧への気遣いが感じられ、つい、涙を誘われる。ナイアガラーの人々にとって、大瀧の喪失は巨大なる虚無感を与えたが、山下達郎が感じたものはそれ以上だったに違いない。『新春放談』で二人が初めて出会った夏の思い出を何度も本当に嬉しそうに語っているのは、ファンにとっても最高に喜ばしい哀愁のひとときなのだ。
大瀧詠一という稀代のクリエイターと同時代を生きたこと。その巨人の継承を堂々と宣言し、これからも僕らに感動を与え続けてくれる山下達郎と共に生きていけること。「さよなら」したくない「幸せ」である。