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ART
Nov 06, 2017
By THEM MAGAZINE

【インタビュー】政田武史 「不機嫌なヤマビコ、加速するアポトーシス」

【インタビュー】政田武史 「不機嫌なヤマビコ、加速するアポトーシス」


「今までは僕の作品を見て、なにかを感じる人だけ感じてくれればいいと思っていましたが、今はより多くの人を惹き付けたい」

 

自身の変化についてこのように語るアーティスト、政田武史。11月18日より、東京・原宿にあるギャラリー「The Mass」にて5年ぶりとなる個展「不機嫌なヤマビコ、加速するアポトーシス」を開催する。

 

今回の展覧会では、長年付き合っていた恋人のA男を、可愛がっていた後輩のB子に略奪された主人公・A子の嫉妬と狂気、そして浄化という自身が創り出したストーリーをベースに作品が展開される。大型キャンバスに描かれた油絵をはじめ、クレパスを用いた立体作品では、クレパスに宿る稚拙性や少年性が独自の視点で表現された。

 

物語を下敷きにしてすべてを制作した点や作品のタッチなど、さまざまな作家の変化が見られる本展覧会。果たしてアーティスト・政田武史の身に何が起こっているのだろうか。普段は大阪に構えるアトリエで制作を行うが、氏への取材時にはギャラリーに腰を据えて作品を描いていた。今回のインタビューでは、氏の生い立ちやアーティストとしての転換、本展覧会の狙いについて雄弁に語ってくれた。

子供のころから絵を描くことが好きだったと語る政田氏は、ホラーやSF映画を見て育った。元々は画家ではなく特殊メイキャップアーティストを目指し、京都市立芸術大学に入学。しかし特殊メイキャップを学べる環境がなかったため、美術学部の絵画コースに進み、石原友明氏に出会うことで現代美術の面白さとかっこよさを知る。以降、現代美術の要素を持った絵を描くようになったという。

 

「当時描いていたのは、絵画論や絵画の仕組みを分解したような作品でしたね。身近にあるモチーフを採用して、絵画における“見る”と“見られる”の関係性を意識していました。人は絵画が存在するからそれを見にギャラリーへと足を運びますが、絵画は誰かに見られないと存在しないという関係性です。それが僕の大好きなホラー映画の主人公と結びついて、初期の『レザーフェイス』という作品は生まれました。絵画の世界は絵画の世界、SFの世界はSFの世界ではなく、すべてを並列に考えるとすべてが繋がって面白いのではと思って、さまざまな世界と絵画を並べていこうとしました。また、絵画には平面しかないのに、奥の山、中間にある木、手前にいる人、とそれぞれ距離があるように感じるじゃないですか。これは平面の中に奥行きがあると脳で錯覚しているのですが、ひとつの平面上にあることに変わりはない。そういった絵画論もモチーフにして描いていたのですが、どうにも自分の中でしっくりきていなかった」

 

筆に迷いが走る中、2011年3月11日、東日本大震災が発生した。それまでの画家としてのモチベーションが、音を立てて崩れ落ちたという。これが氏にとって大きな転機となった。

 

「震災のような非常事態の下では、画家は必要ない。なんて無力なのだろうと、絵を描けなくなってしまいました。しかし時間が経つにつれ、そんなこと言っていてもしょうがないと思えたんですね。そして画家を辞めようと考えていた時期を越えて、それまでは人に見せつけるような作品を作ってきましたが、今度は他人ではなく自分のために描いてみようというところに行き着きました。そこで目指したのが、自分のスタイルの確立です。例えばヴィンセント・ヴァン・ゴッホやクロード・モネなどの印象派は、彼ららしいチャームポイントがタッチに現れているんですね。僕も、そのタッチを見ただけで誰の絵かがわかるような独自のスタイルを編み出そうと試行錯誤してきました。やっと自分のチャームポイントを集めて絵を完成させることができるようになったころに今回の展覧会のお話をいただいたので、やれるなと思ったんです」

前述の通り、今回の「The Mass」での展示作品はそれぞれ一貫した物語によって結びついている。ストーリー仕立てで作品を制作することは、今までになかった新しい試みである。そこにはどのような意図や変化があるのだろうか。

 

「今回は、今までの絵画論に則った作品ではなく、自分のやりたかったことを優先した作品を作りました。今までの僕の絵とはちょっと違った印象でしょう。例えば、西洋絵画は聖書の一場面を絵にしていますよね。僕の場合は、自分で話を作ってそれを絵に置き換えています。下敷きにしたストーリーは実話です。10年くらい前に僕の身近で起こったのですが、年下の女に嫉妬した女が、夜中にその年下女の家の前にゴミを撒き始めるという事件があって。ゴミの次にはネズミを置いて帰ったらしいんですが、僕はその話を聴いて、その女性はその後どうしたんだろう、その女性がもっと巨大なネズミを追い求めて山の中をかけずり回るようになったら面白いなと思ったわけです。そこから、最初は嫌がらせのためだったのが、次第にそのネズミを探すという行為自体にのめり込んでしまい、しかし最終的には巨大ネズミと対峙するという創作部分を追加しました。現代美術作家、ソフィ・カルの作品で、“自分の不幸の話とあなたの不幸な話を交換しましょう”というものがあります。彼女は“大恋愛をして空港で待ち合わせたけど男は来なかった”という失恋の話を他人の不幸話と交換しようとするわけですが、プロジェクトの始めはとても熱が入っていても、10人目くらいになってきたら彼女も同じ話を繰り返すのが面倒くさくなってきてだんだん話を端折り始めるんです(笑) 人に話すうちに自分の中でその不幸を消費してしまうのでしょうか。そのようなセラピー的な効果が山中でも発生して、嫉妬や怒りといった感情が浄化されていくこともありえるのではないかと思ったのです。また、今回はただひとつのストーリーではなく、作品のスケッチからイメージが膨んで生まれた、すこし横道に逸れたストーリーも存在します。例えば、幽体離脱の話や光にさらわれたりだとか……。展示会場にて、その背景にある話についても考えてもらえればまた面白いと思います。なぜこのような作品づくりを始めたかというと、原点回帰といいますか、自分が絵を描き始めたときの衝動と今の時代に絵を描くということがマッチングした結果ですかね。ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインのライフワークであった“語り得ぬものへの探求”のように、自分が表現したいものに対する欲求がだんだんと高まってきました。しかし、結局は自分が見たことがある何かの寄せ集めでしか絵は作られないのが難しいところですね。自分の頭の中の世界を表現したいので、他の人にはよくわからないくらいがちょうどいいのかなと思っています。僕は『WAKO GALLAERY OF ART』というギャラリーに作品を扱ってもらっていますが、そこにはゲルハルト・リヒターの作品もあって生で見ることができます。彼の作品の多くは絵画論、西洋絵画の仕組みである平面性をもちながらも、面の上に絵の具が乗ることで視覚的に空間ができるんです。彼の作品で写真の上に絵の具をしいているものがありますが、あれも写真の上に絵の具をペチャッとつけているだけで空間ができています。絵画の仕組みを鮮やかに再現するといいますか、とにかく“美しい数式を書く”タイプの作家なんです。でも僕の場合は、(米村)でんじろうのような、実験でみんなを喜ばすような作家なのでリヒターとは真逆の方向性ですね。それがわかった後は、比較的気楽に作品を作れるようになったかなと思います」

 

作風が違うことははっきりしているが、理論やアプローチという点ではリヒターに影響されているのかと訊くと、それも違うと否定する。しかし、同じアーティストとして何か引っかかる部分はあるようだ。

 

「理論的にリヒターが評価されている理由はわかるのですが、感覚的には未だピンと来ていませんね。でも歳をとったら、いつかわかるんだろうなと思ってはいます。10代のころは、印象派の作品を本で見ても“おばさん趣味”に思えて全くピンと来なかったのです。しかし、大学のときに半年間滞在したロンドンで訪れた『ナショナル ギャラリー』で、たくさんのオリジナルを見ることができました。画家は、19世紀の初めに写真ができたことにより、肖像画を筆頭とした“何かを正確に描く”という必要性を一度失ったんです。絵画史において、この時以上に大きな変化はないのではないかと思います。そこで画家は焦って、写真では表現できない自分だけテクスチャー、いわゆる独自性を磨いていったわけです。『ナショナル ギャラリー』に飾られている作品からは、その画家としての存在価値の岐路にあったという焦燥感や変化に対する熱量が伝わってきて素直に感動しましたね。この時と同様に、僕にもリヒターの作品も理解できる日がいつか来るのではないかと思っています。しかし、昨年の展覧会で見たリヒターの新作は平面ではなくもりもりの立体に変わっていたんです。今までの彼の作品との違いに戸惑いましたが、彼も80歳を過ぎ、2次元や3次元といったレベルではなく、あの世のことを意識しているのではないかと感じました。だから、自分も死期が近づいてやっとあの作品を理解できるのかもしれません……。リヒターの話ばかりになってしまいましたが、いずれにせよぼくは『でんじろう』タイプですので、彼からの作品に対する直接的な影響はありませんね」

オリジナリティの模索とは、何かを創造する人間にとっては避けられないことである。一度は確立したように思えるオリジナリティでも、時とともにその価値も移ろう。80歳を過ぎても創造性を追い求めるリヒターを見ると、終わることのない永遠の問いかけであるのかもしれないと思える。政田氏もまだまだ模索中と語るその独自性を、自身はどのように捉えているのだろうか。

 

「僕の絵は『男の子絵画』といえますね。モチーフにするのも男の子が好きそうなモンスターであることが多いです。特殊メイキャップアーティストを目指していたことにも関係しますが、エイリアンやプレデター、パンプキンヘッドなどホラーやモンスターが好きだということがやはり自分の創造の根底にはあるんでしょうね。そういう世界観を作って人に喜んでもらうような……。絵のタッチに関しては、描きたいモチーフにそのときの描き方がハマらなかったりするのでよく変わります。最近では、描くすべてに独特のタッチを使うのではなく、普通に描くところも作って、いろいろなタッチが一枚の絵に入り乱れているのが面白いと思っています」

 

インタビューが終わると、またキャンバスと向き合い制作を始める氏。事前に作ったプレイリストで音楽を聴きながら筆を走らせ、取材当日はレキシや安室奈美恵、TMネットワークを聴いていた。左腕を後ろにやるのは、無意識のクセだそう。

 

相互に呼応しあう作品と物語を、あなただけの解釈でぜひ会場にて楽しみたい。

 

【展覧会情報】

不機嫌なヤマビコ、加速するアポトーシス

TERM:11月18日~12月17日

PLACE:The Mass

ADDRESS:東京都渋谷区神宮前5-11-1

OPENING HOURS:12:00~19:00 (木~月)

※入場無料

【ギャラリートーク】

11月25日(土) 14:00–15:00

政田武史×石原友明(現代美術作家)

※無料

 

 

Edit_Ko Ueoka

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