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Oct 30, 2017
By THEM MAGAZINE

【インタビュー】エレナ・エムチュック『アンナ』

【インタビュー】エレナ・エムチュック『アンナ』


『ヴォーグ イタリア』などでファッションエディトリアルを手がける写真家、エレナ・エムチュックが、23年に渡って撮り続けてきた友人アンナの写真をまとめた写真集を発表した。写真集には長い関係の中で生まれた、この2人でしかなしえない昵懇な瞬間が収録されている。また、一人の被写体を撮り続けることからわかる、エレナ自身のフォトグラファーとしての移り変わりを感じることができるのも本作の魅力のひとつとなっている。

 

弊誌は写真集の発売を記念して来日したエレナに取材を行った。ウクライナに生まれた彼女のフォトグラファーとしての歩みや今作『アンナ』にかける思い、そして制作プロセスまでが語られるインタビューをここに掲載する。

———どのような家庭で育ちましたか?

 

「私は、紛争中のウクライナで育ったの。両親はアメリカに移住したがっていたようだったんだけど、当時の私はとても幼かったから紛争の原因である政治や両親が抱えていた問題についての理解がなく、幸せな幼少期を送っていたので、故郷を離れたくないと思ったわ」

 

 

———では写真を撮り始めたのはいつごろでしょうか?

 

「高校に通い始めた頃だから15歳になるのかしら。そのときは、いつもカメラを持ち歩いて写真を撮っていたわけではなくて、ただ学校で友達の写真とかを撮っていたのよ。真剣に写真家としての道を歩み始めたのはカレッジに入学した18歳の時かな」

 

 

———そのときはどのような作品を撮っていましたか?

 

「今のようにファッションではなく、ポートレイトやランドスケープ、自然を対象にした写真を撮っていたわ。シークエンスというものが好きなので、学校ではストーリーに凝った劇場的な作品を制作していた。事前にシナリオを組み立てて、まるで映画のワンシーンをキャプチャしたような画像にしたかったの。だから被写体もクレイジーなほどドレスアップしたわ。そして、ありふれた物質的な背景は避けて、例えば砂漠に行ったりして撮影をしていたの」

———その後、どのようにファッションフォトグラファーとしてのキャリアをスタートさせましたか?

 

「30歳くらいから始めたんだけど、そのきっかけはアクシデントのようなものだったわ。当時は個人の活動としてアート写真を撮っていたんだけど、スタイリストのカール・テンプラーのアシスタントをちょうど卒業した友達が『『デイズド&コンフューズド』でファッションを撮らない?』と声をかけてきたの。そのときのことはよく覚えているわ。2001年だった。8 x 10のポラロイドを使った撮影で、とても難しい現場だった。私が、ファッションシューティングのことはよくわかっていなかったしね。でも最終的にはとても美しいものに仕上がって『デイズド』の人も喜んでくれた。その後も『デイズド』のために何度かファッションストーリーを撮りおろしているうちに、『V magazine』からも声がかかって……というふうに仕事が増えていったわ。だから流れとしては自然なものだったのかも」

 

 

———初めてのファッションストーリーを撮った感想はいかがでしたか?

 

「そうね、好感触だったわ。なぜなら、周りからの目線は『アートフォトグラファーがファッションを撮っているね』というものだったから、変にファッションに対して気負いする必要もなかったの。また2000年代初期は、ファッションの現場はとても自由なものだった。そこまでビジネスチックではなくて、エディトリアルにも様々な自由があって、どんなことでもできた。フォトグラファー自体の数も少なかったしね。私にとって、ファッションフォトグラファーとしての最初の一歩を『デイズド』で踏み出せたことはラッキーだったわ。さらに、初めてのコマーシャルの仕事の相手は《ドリス ヴァン ノッテン》だった。これ以上に良いクライアントは考えられないね。

 

私はここ7年間で、コマーシャルという点で色々なビジネスが大きく変わったとおもう。例えば、今では日本を含む世界各国の『ヴォーグ』で撮るとすると、絶対に抑えなければいけない10ブランドが存在する。『《アルマーニ》、《カルバン クライン》etcは絶対使ってね』とね。昔は、組み立てるストーリーに沿ってブランドを選んでいて、マストで使う必要のあるブランドは1つか2つくらいだったのよ。先にアイデアがあって洋服を選ぶのか、洋服があってアイデアを出すのか……このプロセスの逆転は写真に大きく影響してしまう。また、デジタルの登場でもビジネスの潮目が変わったわね。デジタルのおかげで、今では本当に多くのフォトグラファーが存在する。以前はフォトグラファーになりたい人なんていなかったのに、今では『ロックスターになりたい』というのと似たような感覚にまでなった。デジタルカメラが進化して、特にスマートフォンを使えば私の父だってフォトグラファーになれるのよ。私は、この状況は表現手段としての写真のクオリティを下げることに繋がっていると思うわ」

 

———あなたにとって、アート写真とファッション写真の撮影はどう違いますか?

 

「雑誌のためにファッションを撮るときはたくさんの制限がある。でも、自身の作品を撮るときと同じオープンなマインドで臨み、同質のクリエイティビティを発揮できるように最大限努めているわ。それでも、自身の作品の撮影では他の誰にも侵入できない私だけの自由な空間があるから……。やはり同じようにはいかないのが実情ね」

 

———ファッション写真家としての活動が目まぐるしく、腰を据えて自身の作品制作に取り組むことが難しいのではないでしょうか?

 

「時間は自分で作るものよ。前作『Gidropark』を仕上げたあと、4年もの間ファッション写真家としての活動のみを続けていた。しかし、ファッションのみをやりすぎて燃え尽きたような感覚に陥ったから、2年半前から新しいプロジェクトを始めることでファッションから遠ざかったわ。私にとって、ファッションシュートと自身の作品制作を並行することはとても重要ね。また、プロジェクトの撮影をしていないときに行っている水彩によるドローイングも大事。ドローイングは新しいアイデアを与えてくれるから、なければならない存在ね」

———新作写真集『アンナ』は、23年間に渡って撮り続けた一人の女性、アンナの写真を収録したものですが、このロングスパンのプロジェクトはどのようにスタートしたのでしょうか?

 

「彼女とは19歳のときに知り合ったの。大学を卒業し2ヵ月ほどイタリアに滞在したときから彼女を撮影し始めたんだけど、当時は彼女だけ特別ということはなく、彼女の友達や家族など身の周りの人々にひたすらレンズを向けていたわ。家に帰ってフィルムを現像してみると、彼女の写真がとても美しいことに気がついた。それ以降、会うたびに彼女の写真を撮り続けたわ。そしていつも実験的なアプローチを繰り返したの」

 

 

———アンナの魅力とは何でしょうか?

 

「彼女はとてもミステリアス。ただ美しいだけでなく、何を考えているかわからないような雰囲気があり、同時にエモーショナルな人ね。私にクリエイティビティをもたらしてくれる存在だわ」

 

 

———23年間で、二人の関係性はどのように変化していますか?

 

「働いていたレストランで初めて会った時はすぐに仲良くなったけど、クルーはみんな友達という雰囲気だったから彼女だけ特別な人ということではなかったわ。彼女を撮り始めるようになってから、頻繁に連絡を取り合うようになったの。それから彼女は20ものボーイフレンドを経て、私は結婚し、それぞれ一人の大人の女性として成長した。けれども違う都市に住んでいたから、実際に会うことは少なかったわ。でも会ってしまえばそんなことは関係ない。私たちはとても正直な友好関係を築いていて、お互いに尊敬しあって最高だと思っている。人生の中でそういう人と出会えるのはとても幸運なことだわ」

 

 

———20年前の彼女の写真を振り返ってみて、どのような感想を抱きますか?

 

「持論だけど、フォトグラファーやアーティストの初期作品は考え抜かれたものではない分、より衝動的で自由を感じることができエキサイティングなものに思える。私もアーティストとしての自分を確立するために、様々に表現を模索し実験的なことに挑戦していた。もちろんテクニック的には現在の写真に遠く及ばないけど、若いエネルギーがこもっていて素敵だと思うわ」

 

 

———あなたが幼い頃に過ごしたキエフの遊園地を写した前作『Gidropark』、そして今回の『アンナ』には、どちらも自身と関係が長い被写体という共通点があります。その関係性の長さは、あなたの作品にとってどのように重要なのでしょうか?

 

「一番重要な点は、私にとってエモーショナルな被写体であること。遊園地『Gidropark』では子供の頃によく遊んでいたけど、大人になるにつれてその記憶は薄れてしまっていた。アメリカからの帰郷の際に久しぶりに訪れてみたら、とてもいい場所だということに気がついたの。10年もの間、訪れていなかった自分が信じられないくらいだったわ。私は、自分が正直でいられる物事を見つけるのが好きなの。東欧からはたくさんの写真集が出ているけれど、どれもが東欧独特のクレイジーなラフさやタフさを写すものばかりだったから、私はユーモアがあって美しい側面を見せたかった」

———写真集のデザインにあたって、アートディレクションを手がけた「studio 191」とはどのようなプロセスで仕事を進めましたか?

 

「どこだったか忘れたけれど、私は『studio191』のLaura( Genninger)とDavid( James)に出会ったの。彼らは『Another magazine』のデザインをしているから、もともと少しは知っていたんだけど。それで、写真集のアートディレクターを探そうとしたときに、ふと彼らの顔が思い浮かんだ。彼らはファッション業界に深く身を置きながらも、ファッション的な感覚だけで物事を捉えない特異で素晴らしい人たちだと思うから、今回の写真集には適任だと考えたの。また、チームとして男性と女性の視点を併せ持っていることも良い点だと思う。私と彼らは同じビジョンを共有できていたので、仕事はスムーズに進んだわ。写真のセレクトでお互いの意見が合わないなんてこともなかった。レイアウトの関しては、まず私が5,6冊の好きな本を持ち込んでその好きな理由を説明し、その後は完全に彼らにおまかせして、その仕上がりは文句無しだったわ」

 

 

———発行元である日本の「ユナイテッドヴァガボンズ」との仕事はいかがでしたか?

 

「最高だったわ。今回の写真集はそのデザインのみならず、プリンティングに関してもとても満足しているの。前作『Gidropark』の時はプリンティングで多大な苦労をした。そのときはイタリアの出版社『Damiani』と仕事をしていたんだけど、彼らはイタリアに自身の印刷所を所有していて、そこから私に2種の校正を送ってきた。ひとつはカバー、ひとつは中身の写真一枚分。私はプリントに色赤を入れて返却し、全ページ分の校正が届くのを待っていたの。2週間経っても届かなったからメールで問い合わせてみたら、もうすでに製品用のプリントが開始されていると知らされたのよ! その見本を受け取ったあと、私は3日間も泣きはらしたわ。カバーは校正で戻した赤字が何一つ反映されていなかったし、中身も同じ有様でほんとうにひどい経験だった。私にとって初めての写真集だったのに! 確かに私はフリーマーケットで見つかるような70年代の雰囲気が漂うプリントに仕上げたかったけど、それは美しいプリントであることが前提であって、ただ70年代の質の悪いプリントにしたかったわけじゃない。わかるでしょ? 打って変わって、『アンナ』では何回も校正を繰り返してとても美しいプリントに仕上がったわ」

 

 

———「ユナイテッドヴァカボンズ」は日本を拠点とし、あなたはアメリカに住んでいます。お互いの物理的距離が遠いという点はいかがだったでしょうか?

 

「そうね……。連絡は密に取り合っていて、代表の菅付さんが直接会いに来てくれたこともあるし、距離に関して特に不都合がなかったわ。どのみち、プリントに関してはアメリカにはいい工場がないから国外で行うのは一般的。やはり、ドイツやイタリア、スイスが鉄板かしらね。日本の工場も素晴らしい腕を持っていると思うわ。今回刷ってもらった工場も非常に美しいプリントで感動したもの」

 

ハードカバー+クロス掛けであつらえられた本作の印刷は、1000dpiの高精度印刷(通常の印刷物の約3倍の精度)を誇る。

 

 

2人の美が端から端まで詰め込まれた本作には、読み手も彼女たちと時間を共にしているような、親密な温かさに溢れている。

 

 

(書籍情報)

アンナ

PRICE ¥4,860

PUBLISHER ユナイテッドヴァガボンズ

SALES トランスビュー

URL unitedvagabonds.com / transview.co.jp

Yelena Yemchuk

(アーティストプロフィール)

エレナ・エムチュック 1970年、ウクライナ生まれ。10代前半で家族とともにアメリカに政治亡命する。パーソンズ美術大学やパサデナのアートセンターで学ぶ。卒業後は作家としての活動を続け、97年からはファッション写真を中心に活動する。2011年にはキエフの遊園地を写した写真集『Gidropark』を発表した。yelenayemchuk.com

 

 

Edit_Ko Ueoka

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