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ART
Nov 29, 2018
By THEM MAGAZINE

【インタビュー】MANIKA NAGARE “The Colors Have Gone Through”

【インタビュー】MANIKA NAGARE “The Colors Have Gone Through”


 

 “色彩”の作家、流麻二果による個展『色の足処(あと)/ The Colors Have Gone Through』が、12月22日までユカ・ツルノ・ギャラリーにて開催されている。流といえば、2018年3月に神奈川県箱根にある「ポーラ美術館」で開催された個展『色を追う/Tracing the Colors』が記憶に新しい。当展示では、色を巧みに扱う作家従来の手法で制作された作品に加えて、伝統的な絵画における色彩を丁寧に追体験しながら色を塗り重ねる新たな作品シリーズ『色の跡』を発表した。ユカ・ツルノ・ギャラリーでの今展では、過去作に加えて、同シリーズの新作を発表。作家が追体験した作品は2018年3月に重要文化財登録された、作家・和田三造(1983~1967)の代表作『南風』(1907)であるという。他方、流は展覧会に合わせて、現代の「日本の色」を模索する新規プロジェクト『日本の色』のwebローンチも行った。多角的に色彩を追い続けるアーティストに、話を聞いてみよう。

流麻二果『色の跡:和田三造「南風」/ Traces of Colors: Sanzo Wada “South Wind”』2018
撮影:加藤健 (C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery

 

 

 

——今展のメイン作品である『色の跡』シリーズについて教えてください。今シリーズは、これまでの作風と大きく異なっていますね。

 

絵画の表現というのは、その長い歴史の中ですでにやれることはやり尽くされてしまったと言え、それでもなお絵画を続けるのかという問いを、今を生きるペインターはそれぞれ抱えています。そう悩むなか、過去の巨匠作家がどのような色を追いかけてキャンバスの中に描き出していたのかというのを、私自身が追体験したいと思っていました。そして2018年の春にポーラ美術館での個展が決まったことがきっかけとなり、色の追体験をテーマとした『色の跡』シリーズの制作に取り組みました。私はパレット上で絵具を混ぜて色をつくるのではなく、薄い色の層を何層にも重ねることで色彩を出していきます。ポーラ美術館の協力を得て、印象派であるクロード・モネやルノアール、ゴッホらの作品をしっかりと観察し、そこに描かれている色を一色ずつレイヤーで重ねていくことで一つの作品にしたのが『色の跡』というシリーズです。ある作家が一つの絵画で使用した色を、私が独自にピックアップして塗り重ねていくという行為なので、今までの作品とは異なった姿勢で描いていますね。

 

 

——ポーラ美術館の展示では、印象派の作品からインスピレーションを得て制作されていますね。なぜでしょうか?

 

ポーラ美術館の中でも、「アトリウム ギャラリー」という新設したばかりのコンテンポラリーなスペースでの展示だったので、そこで今何をすべきなのかを考えました。日本のアートシーンには、著名印象派の作品などには何時間待ちの行列を作るほど観客が殺到しますが、コンテンポラリーな作品はギャラリーであれ美術館であれ、観る人が限られてしまっているという現状があります。その乖離は問題だと感じていて、印象派やオールドマスターと呼ばれるような巨匠作品を抱え、まさに“人が並ぶ美術館”であるポーラ美術館で個展をやるからこそは、「今を生きている作家も面白いことをやっているじゃん」と思わせたかったのです。さらに展示をする場所、つまりポーラ美術館に関係性のある作品にしたかったので、印象派を題材としました。

 

 

——ユカ・ツルノ・ギャラリーにおける今展では、和田三造の作品『南風』を中心としていますね。これはなぜなのでしょうか?

 

西洋の油絵が日本で活発になったのは、昭和の初期です。当時はもちろんインターネットもなく、今のように自由に海外に行けるわけでもない。日本の先人らが、留学した短い期間でどのように西洋の色や表現を取り入れたのかという、今の日本の画家のルーツに向き合いたいと思いました。そして偶然にも、その時代を生きた作家、和田三造は私の血縁にあたるのです。和田は作家としても有名ですが、日本における色彩の標準化を目指して「日本標準色協会(現・日本色彩研究所)」を立ち上げるなど、色のアーカイブを目指した取り組みも行っていました。また映画の色彩において日本で初めてオスカー※1をとるなど、幅広いジャンルで色彩に準じた仕事を手がけた人でもあります。たまたまなのか、DNAの仕業なのか、同じ家系に色彩を得意とする画家が二人現れたのは面白い偶然だなと思って。それで以前より注目していたのですが、2018年3月に和田の代表作『南風』が重要文化財に登録されたこともあり、その『南風』に私の『色の跡』という手法で向き合ってみようと思って展覧会の中心となる作品に決めました。

 

(※1) 和田三造は衣笠貞之助監督による『地獄門』(1953)で、色彩デザイン・衣装デザインを担当。第27回アカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞。同作は第7回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞

展示風景:「色の足処 / The Colors Have Gone Through」2018
撮影:加藤健 (C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery

 

 

 

——流さんの作品はいつも印象的に色彩が際立っています。その作風に至ったきっかけはどのようなものでしたか?

 

正直に言うと、今のように色を武器に仕事をすると思ってはいませんでした。ただ自分の表現を追い求めていたところ、次第に色彩面での評価やリアクションが多くなったのです。すると、色に関連したイベントなどに呼ばれたり、建築物などの色彩監修の依頼を頂いたりし始めて、そのような仕事を通して自分のことに気がついていき、改めて色について考え、勉強してみようとなりました。

 

 

——では、色彩をメインとした作風はいつころから描き始めたのでしょうか?

 

使用する技術や描く内容など、根っこの部分は大学生のときから変わっていません。変わったきっかけがあるとすれば、2002年から6年近く奨学金をきっかけにNYに住んだことでしょうか。それまでは自由に絵を描き、それを評価してくれる環境がありました。しかしNYという厳しい舞台に立つと、「なぜ今でも絵画をやっているのか」とか、「何を考えて作品に取り組んでいるのか」といった根幹部分を改めて自分で見つめなおさないと次のステップに進めないのです。そうして、日本人の持つ色彩感覚にはシンプルな単一の表現ではなく、光や影があって情緒もあることに気がつき、それを学んだり吸収したりするなかで現在の手法に近い、塗り重ねて色を出す表現方法などを身につけました。すると純度が高いというか、よりクリアではっきりとした色を出すことが多くなり、今のような“色が溢れている”という感覚を呼び起こす作風になっていったのだと思います。

流麻二果『人々の跡 / Traces of Raftmen』2018
撮影:加藤健 (C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery

 

 

 

——NYではフランク・ステラのアトリエでインターンをされていたそうですね。それはどのような体験だったのでしょうか?

 

文化庁の在外研修員に選ばれたとき、せっかく行くならNYに行きたいと申し出ました。個人のアーティストのスタジオに受け入れてもらえることもあると聞き、ちょうどいいタイミングで日本でのフランク・ステラの回顧展のキュレーターにダメ元で紹介してあげようかと言ってもらえました。「ビッグネームのアーティスト!」と驚きつつポートフォリオを送ったのですが、幸いにもいい返事をいただけて。偶然だったとはいえ、彼の元で働けたことは本当に勉強になりました。彼はとても頭のキレる人で、あんなにクレバーなアーティストを見たことがない。文化庁のプログラムが終わった後も、しばらくバイトとしてスタッフの仕事をさせてもらいましたね。文化庁の派遣プログラムで海外に行っても、1年くらいだけだとNYの巨大なマーケットの真髄に触れないまま物見遊山で終わってしまうことが多いのですが、幸運にも私はその中心にいられたので、それまでとはまったく異なるアートの世界を経験できました。何より私自身がアートを続ける理由に対して悶々としている時期と、彼のスタジオにいる時期が重なっていたので、彼に相談すると小さな悩みに対しても、いい加減なようで真をつくアドバイスをくれたりして。自分の頭の中を今一度整理しなければいけないときに、彼というアーティストのアトリエで仕事ができたことは大きく、それをなくして今の私もないと思っています。

 

 

——NYでの生活を経て、作品との向き合い方にどのような変化があったのでしょうか?

 

大きく変わったのは作品と自分との距離感ですかね。それまではキャンバスに身体ごとぶつかっていくような制作方法をしていて、他の人から早く死にそうと言われるくらいに心身をすり減らしながら絵を描いていました。溢れ出るエネルギーを作品にぶつけるのみで、何も周りが見えていなかったのです。それがNYを経て自分の中が整理できたことによって、自分の中での作品の位置づけや関係性が明確になりました。

流麻二果『水 / Still Water』2018
撮影:加藤健 (C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Galler

 

 

 

——流さんは絵を描くインスピレーション源として、「電車で席に座ったひと」などふとした日常生活の一部や他人への好奇心を挙げられていますが、どのようにそれらが記憶や好奇心がタッチや色に置き換わるのでしょうか?

 

他人の観察は日課のようなもので、ある特定の人から直接インスピレーションを受けているわけではなく、私の中に日々蓄積されて行きます。その発見を割とすぐに描くこともあれば、後々の制作作業中に引っ張り出されてくることもあります。基本的には自分の頭の中での作業ですが、具体的に走り書きしたメモが作品のベースになることもしばしばありますね。

 

 

——スケッチなど下書きをしてから描くのでしょうか?

 

強烈なインスピレーションがある場合はそれが先行することもありますが、普段の制作では描き進める中でイメージができあがっていくことが多いです。私は絵画一枚でも空間をつくっていくことができると思っていて、今は先に展示をどこで行うかが決まっている上で描き出すことが多いので、その空間がサイズや描く対象に影響します。個展なのか、大きなグループショーの一部なのか、建築に一点掛けられる予定なのか、などが考慮されます。

 

 

——なるほど。2018年11月より中川ケミカル社との共同webプロジェクト『日本の色』(nihon-no-iro.jp)をはじめていらっしゃいますね。これはどのような内容なのでしょうか?

 

日本人の色に対する感覚は、世界的に見てもかなり特殊です。例えば日本の伝統色の名前は、ただ植物の名前というわけではなくて、現象や感覚までを名前に取り入れていたりします。また、日本語には「色々」など日常的な言葉にも「色」という感じが取り入れられ、男女の関係を指す言葉にも使われます。つまり、色そのものの概念が幅広い。だからこそ、かつて和田三造が色の標準化をしなくてはいけないとして色見本をつくったのですが、それは今に至るまでほとんどアップデートされていません。私にしても、「日本の色」がテーマという仕事を受けたら、当たり前のように伝統色のカラーチャートを見ながら物事を決めていく。でもよく考えたら「なぜ現代において、平安時代の色の話をしなくてはいけないの?」と思って。色の見え方というのは人それぞれで異なります。私の絵にしても東京で見せるのと他の国で見せるのとでは、環境も違えば見る人の感覚も違うので、異なった色が見えてくる。確かに日本古来より培ってきた伝統色は素晴らしいのですが、2018年と当時では天候や人、生活がまったく違う。すると、2018年の日本に生きる人たちにとっての「日本の色」とは何かと改めて疑問に思いました。そうして、株式会社中川ケミカルの色彩研究室と共同プロジェクト『日本の色』を立ち上げることになりました。このプロジェクトでは、専門的な仕事をしている人々にインタビューをし、改めて「日本の色」を問いかけてみることを実施しています。ちょっとずつでもインタビューが広がっていけば、「日本の色」という概要も見えてくるのかなと思い、今回の展示の開催に合わせて研究内容を報告するウェブサイトもローンチしました。『日本の色』プロジェクトは、今展で取り上げた和田三造ともリンクしているのです。和田が日本で初めてカラーチャートをつくり、その血縁に当たって今を生きる私がそれを更新しようとする。その現代の「日本の色」については私もまだわからないので、その結果を楽しみにしています。

 

 

 

【展示情報】

『色の足処 / The Colors Have Gone Through』
TERM ~12月22日 (土)
PLACE ユカ・ツルノ・ギャラリー
ADDRESS 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F
OPENING HOURS 11:00~18:00(火水木土) 11:00~20:00(金)
URL yukatsuruno.com

 

 

Edit_Ko Ueoka

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