Them magazine

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ART
Mar 19, 2020
By THEM MAGAZINE

Interview with sculpture artist Ai Sano vol.02

大理石の幻獣に命を吹き込む彫刻家、佐野藍。<後編>

 

まるで息の音が聞こえそうなドラゴンを大理石で彫る彫刻家がいる。世界のギャラリーが集まる日本最大級のアートエキスポ「アートフェア東京」で話題を集めていたのが、彫刻家の佐野藍だ。超絶技巧による表面の細かさと、生命のあたたかさを感じるフォルム。ファンタジーの世界は確かにそこにあった。この小さな宇宙を生み出す作家に会うべく、神奈川県の山奥に佇む彼女のアトリエを訪ねた。

 

 

 

 

「今後は人の感情のような曖昧なものに対しても具現化してみたい」

 

 

――佐野さんの作品は表面がものすごく細かく掘られていますが、この世に存在しない幻獣に対してどこまでリアリティーを追求していますか?

 

いろんなジャンルでこういう幻獣系を扱う方って多いですよね。リアリティーの追求って皆さんやっていくと思いますが、解剖学的な方向にいくと多分形は似るんですよ。実際の筋肉の働きなど専門的なところはほどほどに、あくまで見た目の衣装的、輪郭で見ています。自分が愛らしいとかかっこいいなと思う形で作っています。親しみを持てる程度には現存する生き物の筋肉を真似するけど、ギミック的な部分であり得ない部分が出て来たとしてもそこは受け入れます。デザインを優先したいかなと思っていますね。

――昨年12月の個展では初めて平面の作品を拝見しました。

 

台風19号の影響で急遽平面の作品を制作することになりました。彫刻に携わるうちに立体で表現することが自然になっていて、平面の方がよっぽど難しいなと思った。立体と存在の成り立ちが全然違うんですよね。立体はそこに存在するだけで強度が出るけど、平面の場合は画面の中の成立した世界で生きている。色を使うのも久しぶりで何色を置いたらいいのか浮かばなくて、日頃いかに大理石そのものの強さに助けられているか気付いた。彫るという単純な動作だけで、艶を操作したり緩急をつけることもできる。反対に平面は空間を作っていく仕事なので、自分の能動性が必要で苦労しました。彫刻家の自分が描くにあたってどこにアイデンティティーを置くのかを考え、大理石の模様を景色に見立ててオリジナルの幻獣を配置しました。

 

 

 

 

「生命という生き生きとしたものを語る上で、死も隣り合わせに表現をするのが自然だった」

 

 

――ストーリー性は意識しますか?

 

個展の時は全体でちゃんとストーリーが成立するように仕立てますね。その空間に世界を作りたいので必然的にテーマは設けています。アートフェア東京ではアルビオンの陽をテーマにしました。大切な人が大病していることもあり、生命という生き生きとしたものを語る上で、死も隣り合わせに表現をするのが自然だった。自分の私小説的なところがファンタジーに還元されたようなイメージで制作していたんですよね。大切な存在が日に日に病気に蝕まれていく姿は辛いけれど、同時にキラキラとした生命を存在を目の前に感じる。自分の薄皮1枚先は全部死と境界線なんですよね。それが自分の中での生命力を考えるときの種になりました。展示ではその世界の主として生命力を分け与えている大作のドラゴンを軸に、その恩恵を受けて生きているドラゴンや、毎日着実に成長する姿から生命力を感じる植物をモチーフとしたドラゴンも制作しました。生まれる象徴としてのベイビー達の殻は、生まれる瞬間の神秘的かつ官能的なイメージから女性器をモチーフにしています。自分が女性だからか、そこはあまり抵抗なく取り入れました。同時多発的に生まれていくことと死んでいくことっていうのが同じなんだよと、作品を通して言いたかった。

「アートフェア東京2019」の様子

――フォルムと表面のせめぎ合いが作家のアイデンティティーとお考えだそうですね。

 

表面に鱗を施すようなことは彫刻界では不必要なものとして見なされることが多いです。彫刻家って光と影でできてくるフォルムが大事で、表面のディティールは究極なくても美しく、余計なものを削ぎ落とすことに美徳を感じるアカデミズムがあります。けれども私の場合は細部にも命が宿ると思い、フォルム、細部共に重視しています。細部は作り込んでフォルムを度外視すると、表面のディティールばかり目に入ってくるんです。制作していくうちに心境や環境でも変化する、その塩梅をどうとっていくかに作家のアイデンティティーがあると考えます。フォルムを綺麗にし過ぎると今度は生命的なエラーがなくなり、製品的になるのであえて左右差やゆらめきが残るように工夫をしています

 

 

――SNSで呟いていた、綺麗なバイオレンスという言葉が印象的でしたが。どのようなものですか?

 

世の中で綺麗とされているものはどんどん整う形で価値づけられています。みんな整い揃う方向で価値観も動いてて、私はそのカテゴライズが嫌だなと思います。表面で見る少ない情報のカテゴリーでその人を決めつけること自体、人間のコミュニケーションの怠慢だよね。生死觀の話もそうで、生きていることが素晴らしく、死んでいくことが素晴らしくないわけではない。終点が見えてくるから今が美しいし、そこを安直に白黒はっきりさせたくないというのが根底にあります。動物が捕食するシーンも見方によっては美しい。猟奇的な部分、生き生きとした部分がグロいとか汚いと言われるのは違うなと思います。確かに映像では露骨に流せないかもしれないけど、彫刻ならそれをできるなって。美しいものを作ることが原則だけど、そういうトピックがあってもいい。修了制作の「サクラオオカミ」は自然にそれをやったなって思います。突っ込んだ表現を美しく結実できた。

アトリエに棲む幻獣たち

――今後取り組みたい作品を教えてください。

 

7月の個展では今までのように脳内の曖昧なものの具現化ではなく、人の感情のような曖昧なものに対しても具現化してみようと思っています。人の手ってすごく感情が表れますよね。手と生き物を抽象的に混ぜ込んで、そこから生み出される人の感情の表現をシリーズで展開する予定です。

 

 

 

Edit_Yuko Kakei

佐野藍

1989年、東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。第62回 東京藝術大学卒業・修了作品展で「涔々」がサロン・ド・プランタン賞、平山郁夫賞等を受賞。第64回 東京藝術大学卒業・修了作品展で「サクラオオカミ」が大学買上となり、東京芸術大学大学美術館に所蔵。根津の「ギャラリー花影抄」を中心に個展やグループ展に参加。2017年にはBSフジ「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」に出演。

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