Them magazine

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ART
Mar 18, 2020
By THEM MAGAZINE

Interview with sculpture artist Ai Sano vol.01

大理石の幻獣に命を吹き込む彫刻家、佐野藍。<前編>

 

まるで息の音が聞こえそうなドラゴンを大理石で彫る彫刻家がいる。世界のギャラリーが集まる日本最大級のアートエキスポ「アートフェア東京」で話題を集めていたのが、彫刻家の佐野藍だ。超絶技巧による表面の細かさと、生命のあたたかさを感じるフォルム。ファンタジーの世界は確かにそこにあった。この小さな宇宙を生み出す作家に会うべく、神奈川県の山奥に佇む彼女のアトリエを訪ねた。

 

――ドラゴンといった幻獣をモチーフにしたきっかけは何ですか?

 

幼い頃家の近くの公園の茂の中にトカゲがいるのを発見したんですよ。めちゃくちゃびっくりして。恐竜がいると思ったんです(笑)。しかもとてもスピーディーなので。どうしても捕まえられなくて、家に帰って母に伝えたらそれはトカゲだよって教えてもらいました。初めて見た感というか遭遇して高揚する感じがすごく忘れられなくて、今でも思い出します。もともと絵本の恐竜とか『ドラゴンボール』のシェンロンとかこの世にいないファンタジーなもの、絶滅してしまったものに対してすごく強い憧れがありました。母の大学時代の卒論が古代オリエントの動物意匠で、あまり知らないような幻獣を結構知ってたんですよね。母からそういう謎の英才教育があって制作意欲をかきたてるような言葉やビジュアルは幼いときから豊富にありました。なのでドラゴンの絵を描いたりするのはすごく日常的でした。あと『ポケットモンスター』の影響が大きくて、西洋だと悪しき象徴として扱われるモンスターが、日本のカルチャーではパートナー的な扱われ方をすることが多いですよね。もし存在していたら仲良くなれそうというか、一緒にいてくれそうな存在に感じます。私の作品もそういう表現になってくるんですよ。やんちゃかもしれないけどとって食われるような怖さはない。体温があり、知性がちゃんと備わっている感じ。

 

――デザインの資料やリファレンスにしているものはありますか?

 

これといった資料はないですね。今までの蓄積じゃないですけど、多分『ポケットモンスター』とか『デジモンアドベンチャー』の模写を死ぬほどやってきたんですよね。他にも映画でいうと『ネバーエンディングストーリー』とか『ハリーポッター』の影響を豊富に受けている世代なので、そういうのが蓄積されています。特に今何かを資料にするのであれば、本当に生きている生き物を資料にようしています。

 

 

 

 

「自分が作りたいドラゴンとすごく親和性がある素材だった」

 

――東京芸術大学ご出身ですが、最初から大理石を専攻されていましたか。

 

硬い素材にすごく興味があり、最初は金属を専攻していました。そしたらあまりうまくいかなかったんですよね。二浪して芸大に入っているので芸大という存在がすごく敷居の高い場所で、めちゃくちゃビビリながら生活していたんです。社会に云々とかコンセプト云々を課題でも求められて、心の底からやりたい表現を自粛すべきなのではないかと謎の遠慮があって。自分が作りたいものじゃないものを無理矢理それっぽく仕立てて。そういう背伸びをして自分の本質を全く出せなかったんですよね。素材の合わなさとも相まって何もできなくて。期限内に作品は完成しないし講評に間に合わないし。これじゃほんとにわかってもらえないなと思い、幼い頃から表現としてやってきた絵を描きました。その絵を2年の進級展で作品と一緒に添えました。それを見た原真一先生が、この絵だったら大理石で彫れるぞって言ってくれたんです。石でこういう細かいものが作れるのかという驚きと芸大の先生が絵を見てこれ作れるぞって言ってくれたことが安心感に繋がった。自分の居場所として制作の場を作れるかもしれないと、思い切って専攻を石彫に変更しました。

 

作品に添えた絵

――金属よりも石の素材が合うと感じたのですね。

 

石の制作は出口がすごく遠くに見えるけど、一本道でしかないんですよね。それが自分と性格的に合っていた。金属はいろいろ表現と技法があって、ある程度の几帳面さがないと成り立たない気がしました。変幻自在すぎるというか寄り道が多くなるというか。その辺があまり合わなかったのかなと思う。それで最終的に石の愚直な感じというか彫り続けてれば完成するところにとても惹かれました。作業的にも惹かれたし自分が作りたいドラゴンとすごく親和性がある素材だったので決めました。大理石の艶感で表現できたらかっこいいなと思い初めて卒業制作で大理石を彫りました。

 

――卒業制作「涔々」を振り返ってどうですか?

 

卒業制作の時は大理石を彫ることが初めてだったので、大理石を彫ること以外余計なものは取っ払いました。コンセプトとかはあまり狙い過ぎるとそれに付随する造形を考える必要があり、初めて大理石を彫る自分には足かせになると思って。自分でとにかく仕上げまで持っていくことを最優先に、感覚で作りたいと思うデザインを作りました。とにかく大学で作れる可能な限り大きいサイズで、石の重力をそのまま龍にしたような形を作りたい。制作過程でいろいろな言葉を掛けてもらいましたが、自分が後悔しないために造形の最後まで、自分の意思決定や尊重することを特に意識しないと、私の場合人の意見と混じってわからなくなってしまいます。言う事を聞かない私を優しく見守ってくれた深井隆先生の存在もあり、余計なものを取り外して制作でき完成した作品です。

卒業制作「涔々」photo by Kenji Agata

 

「美しさの象徴として咲きいずれ散っていくという一連の流れを、石の強さを用いて留めたいと思い制作していた」

 

――大学院修了作品の「サクラオオカミ」は東京藝術大学美術館所蔵となりましたが、いかがでしたか?

 

大学院に入り内包するものを結晶化させたいという欲が出てきました。作ることに対して経験則的にわかり余裕が出たので、生命力とか広く曖昧なテーマを設けようと思いました。「サクラオオカミ」の場合は作品の成り立ち自体は単純です。岐阜の関ヶ原にある高木工房でポルトガルのピンクの大理石を見た瞬間に「サクラオオカミ」って文字が浮かびました(笑)。 改めて何故浮かんだのか考えると、狼みたいな生命的に強く孤高でかっこいい存在が、絶滅しつつあることがすごく気になっていました。それと、散るはかなさを知りつつ満開の桜を楽む日本人の美意識や感性に、共通する切なさと美しさを私は感じました。だから造形的にそれを伝えたくて意識しました。狼という象徴をより強くするために手足を大きく作ったり、生き物の象徴として桜が満開になっている位置を心臓に近づけたり。足は古代オリエントの「有翼人面牡牛像」というレリーフと同じ形式をとっていて全部で8本あります。それも自分の中では考えがあり、今という視点で見ている私たちよりももっと以前から脈々と受け継がれてきた起動の中にこの子たちはいて、この作品を目の前にした今と古い形式を取ることで過去を表しました。暗示としていずれ絶滅していくであろう狼を、散りゆく桜とかけて見せたいと制作しました。

修了制作「サクラオオカミ」と佐野photo by Kenji Agata

 

――卒業制作と感触的な違いはありましたか?

 

自分の中で感触があったのは作品が大学に認められたこともそうですが、作品の表す生命観と儚さ、新陳代謝みたいな部分をわかってくれる人がいたことが嬉しかったです。「サクラオオカミ」を見たある方にこの作品は現代の病を表しているんだねと言われて。桜の部分が病だと。その方は後日亡くなられましたが、そのときお客さんと作品の間に共通項があったんです。当時美しさの象徴として咲きいずれ散っていくという一連の流れを、石の強さを用いて留めたいと思い制作していたので、そういう意見を言ってくれる方が一定数いらっしゃったことが嬉しかったですし、卒業制作と明らかに違いました。人に何かを伝える力という意味ではそういう反応を貰えて手応えがありました。

 

後編へ続く

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