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MUSIC
May 22, 2020
By THEM MAGAZINE

サマソニのレディオヘッドとデヴィッド・ボウイの晩年

サマソニのレディオヘッドとデヴィッド・ボウイの晩年


レディオヘッドが数週間前から行っている、毎週過去のライブ映像をアップし続ける「Stay Home」プロジェクト。

 

先週公開されたライブは、2016年の「サマーソニック」でした。

動画タイトルの字面だけで目に涙が浮かびますね。僕もその場に居合わせていたので、ちらっと自分が映ってないかなと、淡く期待しながら見入っちゃいました。

 

このサマソニも、2016年に発表された『ア・ムーン・シェイプド・プール』というアルバムのツアーの一環だったんですが、このツアーって、ファンにとっては本当に感動的だったんですよ。

 

レディオヘッドには割と難解な曲が多いイメージがあるかと思いますが、一つ前のアルバム『ザ・キング・オブ・リムズ』(2011)は、レディオヘッド史上一番難しいアルバムだったんじゃないかなと思います。実験的で複雑なサウンドプロダクション(特にドラムを中心としたリズム)が取り入れられ、キャッチーなメロディも少ないので、アルバムとしてのポピュラーな人気はあまり獲得しなかった。

 

バンドとして”行くところまで行った”印象でしたが、5年後の期間を経た次作『ア・ムーン・シェイプド・プール』は、『ザ・キング・オブ・リムズ』の真逆を行くような、より肉感的で身近に感じられるアルバムだったんです。

 

というのも、プロデューサーのナイジェル・ゴドリッチが<モータウン>や初期デヴィッド・ボウイのサウンドを取り入れようと、アナログのマルチトラックレコーダーを採用した模様。8 or 16トラックしか重ねられないので、極端に制限された制作だったと。結果としてとてもシンプルで、研ぎ澄まされた作品になったのでした。

 

制作期間中、トム・ヨークは、23年付き合い2人の子供をもうけていた元妻のレイチェル・オーウェンと破局(アルバム発表から約半年後にガンのため亡くなっている)。それでいて、アルバムを締めくくる最後の曲が、家族と愛を歌った「トゥルー・ラブ・ウェイツ」(1995年につくられ、フルアルバムに含まれてこなかった曲)だから、これまた涙を誘いますが……。そういった事情も含め、『ア・ムーン・シェイプド・プール』はどこか達観したようなアルバムだったのです。

それまでのレディオヘッドのライブは、「最新作」+「ライブ定番曲」というセットリストが主でした。が、達観精神が引き継がれたのか、このアルバムツアーでは、これまでライブであまり演奏されてこなかった過去曲が多く披露されました。

 

その最たる例が、ファーストアルバムからのシングル「クリープ」。サマソニでも演奏されたのですが、この曲は爆発的に売れてしまったために、いつも「クリープを歌って」と客から求められるハメに。ウンザリしたバンドが「この曲ばかり聴かれるせいで、僕らは古いレディオヘッドのまま」「ゴミ曲」「つくらなきゃよかった」とまで語るような曲で、ゆえに滅多にライブで演奏されることはなかったのです。

 

「クリープ」他にも懐かしい曲も演奏するようになり、過去を見つめ直し、肩の力を抜いて抱擁するようなレディオヘッドだったのでした。

同じような姿を、他のアーティストで見たことがあります。それは2003年に『リアリティ』ツアーを行っていたデヴィッド・ボウイの姿。そのキャリアの中で変貌に変貌を遂げ、自分自身が「作品」のようであったボウイ。常にキャラクターを演じていた彼ですが、『リアリティ』ツアーで見られたのは、そのアルバムタイトルも示唆するように、「ありのまま」とも言えるボウイでした。

 

現在Amazon プライムやHuluでは、晩年のボウイを、関係者への取材を通じて追ったBBCのドキュメンタリー『デヴィッド・ボウイ-最後の5年間』が配信中です。そこには、仮面を剥いだ、気取らないボウイの素顔が映っています。心臓の痛みから『リアリティ』ツアーを中断して以降、死ぬまでメディア露出を行ってこなかったこともあり、彼の最期を知るに貴重な映像なのかと思います。

スペース・オデッセイ、ジキースターダスト、シン・ホワイト・デューク、ベルリン・トリロジー……あらゆるボウイを追ってきましたが、平成生まれの自分にとって、すべてはやはり後追いでしかなく。

 

だからこそ、自分の中では、『ザ・ネクスト・デイ』(2013)、そして『ブラックスター』(2016)のボウイが一番リアルなのです。なぜなら、リアルタイムでボウイの魔法にかかったのだから。それでいて、一番かっこいいボウイでもある。このドキュメンタリーを観た後だと、特にそう思います。

 

『ブラックスター』発表直後、劇的とも言えるタイミングでボウイが逝去したとき、ちょうど僕はロンドンに留学中でした。偶然にも、ボウイが亡くなった日には、彼の生まれた街であるロンドン南部のブリクストンのパブに、友人と繰り出す約束をしていて。ブリクストンの駅前には、アラジン・セイン(イナズマのやつ)のボウイの壁画があるのですが、そこにはロンドン中のファンが押し寄せ、献花が山のように盛られ、代表曲メドレーの大合唱という具合でした。あの日のことは忘れられない。

 

多くの新聞が一面でボウイを追悼していましたが、中でも『タイム』誌が一番かっこよかった。切り取って、今でも大切に保管しています。

 

 

上岡

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