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ART
Dec 27, 2019
By THEM MAGAZINE

Interview with Waku

Interview with Waku

街中のいたるところでその空間を演出し、我々を魅了するネオンサイン。今、そのネオンサインを制作する職人たちの中でも、特に注目したいのが現代アーティストとして活動するWakuだ。彼のSNSには手がけたネオンサインの数々がアップされており、きっと実際に設置されているのを目にしたことがある人も多いだろう。しかし特筆すべきは、彼の想像力と独創性によって曲げられたネオン作品。それを一度見れば文字やモチーフを描くだけのネオンサインという概念を壊してくれることは間違いない。都内の大学に通う大学生だった彼がシマダネオンの門を叩き、作家として一歩を歩みだしてから今までの軌跡について聞いた。

 

 

――Wakuさんがネオンベンダーを志したきっかけはなんですか?

 

4年前に自分の部屋に欲しいなと思ったのがきっかけです。調べてみるとネオンがガラスでできていて、成形するには火で炙らなければならない、光らせるにはガスを入れなければならない、そしてガラス管を真空にしなければいけない、ということを初めて知りました。1人では機材を揃えられないし高電圧が必要なので個人でやるには難易度が高く、代わりにLEDライトで作ろうと思って秋葉原に行ったんですよ。だけど、いざLEDを見てみたら全然心が反応しなかった。なんで自分はネオンの光に心が惹かれるんだろうって考えたらネオンによって作られているモチーフや文字に惹かれているのではなくて、ネオンの光そのものに惹かれているんだってことに気づきました。そこからさらにネオンについて調べて、YouTubeにネオンの制作過程を映した動画が上がっているのを見つけたんです。それをみたときは好きだったネオンサインの制作過程を知ることで、さらに心が近づいたような感覚でした。実際に作っているところを見たくなってしまい、東京にあるいくつかのネオン工房に連絡したら最初にお返事をくださったのが島田ネオンだったんです。もちろん興味があって連絡したとはいえ、見学させていただく立場なので最初からここに通わせてもらおうなんて考えていませんでしたが、実際に工房に伺って島田社長とお話ししたら「週に一回なら通ってもいいよ」とおっしゃってくださって。本当にご好意なんですよ。

 

――週に一回に通っていた島田ネオンさんではどんなことをしていたのですか?

 

ひたすら練習ですね。週末は工房でガラス管をひたすら曲げて……。でも、ネオンの製作過程はガラス細工と同じとても繊細なものなので、一年やっても週一回の練習では全然モノにできないんです。ですが、許可されている練習日は週に一日。ネオン管を曲げる技術を自分のものにし、頭にあるイメージを自由に作り出したかったので、大学を休学してネオンに触れる時間を増やしたいと思い、留学に行くことにしました。
なぜ海外を選んだかというと、シマダネオンでは通わせていただいている身だったので、毎日時間を取って練習させてもらうことは当然できません。職人さんたちの邪魔になるようなことはしたくなかったですし、そもそもバーナーを使えるような空き時間はなかった。また東京でオープンにネオンを曲げさせてもらえる場所は他にはありませんでした。LAのネオンサイン工房をいくつか回ってそこの職人さんに相談したんです。「どこかネオンを学ぶのにいいところはないか?」と。そうしたら、NYはオープンなところが多く、若者たちがネオンを作り出していると教えてもらったので行き先をNYにしました。そこでいくつかのネオン工場にアポを取り、ブルックリングラスという工場に決めました。

――NYではどのような生活を送られていましたか?

 

一年間の留学だったのですが、最初の方は語学学校が朝にあったので、朝は学校に行ってその後すぐに工房へ。土日は学校がないので朝からネオンを曲げていました。留学期間の中盤からは学校を夕方からに変え、朝にネオンを曲げて、夕方学校っていうのを繰り返し。あとは、音楽を聴きにいったり、古着を漁り、ギャラリーに顔を出してました。一番苦労したのは飯です。最初はいいですけど、だんだんジャンクフードに飽きちゃって(笑)
NYの職人さんたちは、まるで科学者のようでした。彼らはガスを使って実験してみたり、新しいことに日々チャレンジしていましたね。工場の人間関係も日本に比べるとかなりフラットではあると思います。ナム・ジュン・パイクのネオンを手がけていたデイビッドという方が向こうでの師匠のような存在だったのですが、彼はネオンの施工作業に僕を呼んでくれたりと、修行する環境としては良かったです。それに、日本はガラス管の太さが8mm~13,14mmしかバリエーションがないんですが、NYには30mmのものがあったり、日本にはない色のガラス管やガスの種類もあったりして表現の幅が広かったのは面白かったですね。向こうで悔しい思いをしたこともありましたけど、それが自分の原動力にもなっていました。知識がある上で、感覚と向き合うということの重要さに気づける良い機会だったと思っています。率直に感じることができる時間、というのはすごく尊いと思うので。

 

 

――今年の3月に帰国されてからはどんな活動をされていんでしょうか?

 

大学には復学して、今は大学3年生です。作品製作活動ををさせてもらいながら、僕のネオンを好きって言ってくれる方や友人のために制作しています。ネオンが好きだという気持ちが感じられる人と共にネオンを作るのが一番嬉しいですね。これからは仕事を選んでいかなきゃならないとは思いながらも、今はなるべく依頼していただいたら、お受けしています。

 

 

――ネオンだからこそできる表現はなんですか?

 

ネオンは光じゃないですか。ネオンにはネオンだけの光があって、僕が求めていた、自分の表現方法の一つがネオンの持つ光なんです。ネオンはガラスの中に入っているガスが光っていて、それが僕にとってはまるで生き物みたいに感じられます。それに、点で光るのではなくて面で光っているので前面だけでなく背面も光るんですよ。なので、後ろに設置した物体に反射したり影を作ったりするのもネオンにしかない魅力だと思っています。ただ、電極が必要であったりネオン管の長さに制限があったりするのは表現するうえで難しい部分だと思っています。

 

 

――作品を製作するときはどこから始めるんでしょうか?

 

設置場所が決まっている場合、その空間からネオンのサイズ感などのバランスを決めていきます。ネオンは空間自体を支配するものです。ですので、空間の余白や見る人とネオンの距離感を決めるのは難しいですね。製作を始める際、日常の生活におけるありとあらゆるものをインプットするようにしているので、頭の中のかけらを一つ一つ繋ぎ合わせて一つのものにしています。世の中にあるものすべてに意識を向けて、見る。そうすると、いいと思った物や景色が切り取られて自分の中に溜まっていきます。何かを生み出したい、その気持ちがあるからこそ、そういった自分の動きが自分の中に現れてくるのだと思います。何より、自分が描いたもの、イメージしたものが光に変わったものを僕自身が見てみたいというのがあります。

 

 

 

――ネオンを始める前から何か制作されてたんですか?

 

叔父が彫刻家で祖母が花道の先生だったということもあってか、子どもの頃から手を動かし、何かを作ることが好きでした。幼い頃は作ることを続けていましたが、物心ついた頃には何もしていなかったです。ネオンの製作を始める前から、心が反応した物、景色、音に対しては敏感だったと思います。

 

 

――どんなネオンがいいネオンだと思いますか?

 

ネオンに限らず、既視感のない光景、空気感、物が良いものというより、惹かれる物ではあります。自分の頭の中にない、世の中の物や事ってすごくおもしろい。五感に焼き付けるようにしています。職人技を日々感じることによって、街に溢れる手作業で作られるものが目に飛び込んでくるようになりました。最近だとyudayajazz(ユダヤジャズ)さんというDJのミックス、今は亡き稲葉元さんの作品に触れた時心を動かされました。

9月の個展で展示した作品

――9月の個展で展示されていたのは立体的でとても大きい作品でしたね。

 

あれは初めての立体作品なんです。立体のネオンを作りたいと思ったので、デザインを自分の頭の中だけじゃなくこれまで使ってこなかった3Dソフトに落とし込んで作り上げました。基本的には手書きでデザインして色とか仕上がりを想像しながらやるんですけど、この作品は試行錯誤しながらだったので特に時間がかかりましたね。ネオン管のパーツを20時間かけて全て宙吊りにして、動かないようにパーツをシリコンでサポートして設置しました。通常、ネオンは土台となる板や壁に設置するものなのですが、これは立体かつ吊って展示しているという点で、ネオンのセオリーから逸脱していると思います。

 

――Wakuさんが作品を作るとき一番大事にしていることはなんですか?

 

脳汁、エンドルフィンってあるじゃないですか、それですね。自分のネオンが灯った時、作品として完成されたとき、脳からの指令がシャットダウンされて脳が自分の作品に対して反応を起こす、脳汁が噴き出してくる感覚です。自分がその光によって動かされていることを認識することがとても好きです。逆に言ってしまえば、思い描いたものを光として作り上げたとしても、何も自分が動かされない時もあります。そう言った作品はお蔵入りですね。どんなに想像しながら、考えながら制作してもネオンは光ってみないとわかりません。
インターネット社会や世の中にもみくしゃみにされている自分が、何かを見て感動したりできるということを、ネオンの光が実感させてくれるんです。他人の心を動かすような作品は、まず自分自身の一番裸である部分に触れることができる作品を作らないといけないと思っています。だからといって、人に何かを感じさせるために作っているのかというとそういうわけではないし、でもそうなのかもしれないし……。そんな狭間にいながら、僕の作品を見た人がいろんなことを一旦置いて、まずは光と一対一になれる空間を作ることができたらなと、ネオンを曲げています。

Waku 

1996年、東京生まれ。2017年から国内有数の工場 島田ネオンにて修行を開始。2018年には、20世紀を代表する作家 ナム・ジュン・パイクなどの作品を手掛たDavid Ablonを師事すべくニューヨークへ渡米し、多数のプロジェクトに参加。2019年からは東京を拠点に、5月に渋谷「connect gallery」で企画展、9月に原宿某所で初の個展となる『Dimention』を開催。続く10月には、サントリーが主催する「TOKYO CRAFT ART BREWING」に選出され新作を発表した。作品発表に加えて、「UNIQLO San Francisco 店」やリニューアルオープンを果たした「渋谷PARCO」などへの制作協力にも携わりながら、光と空間を主題に見るものの感性を揺さぶる、美術の可能性ついて模索している。

Edit_Marin Kanda
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