Sep 29, 2025
By NONOKA FUJIWARA
ホラー作家・背筋が見つめる恐怖(前編)幽霊・怪異はなぜ白や赤の服を着るのか
恐怖と結びつく服装と色
フィクションをドキュメンタリーのように見せるジャンル、モキュメンタリー。それがメインとなったジャパニーズホラーブームはネットから現実に侵食し、企画展や宿泊イベントなどが開催されるようになった。
そんなホラーの現在地で注目を集めているホラー作家・背筋さん。自身がネットに投稿した小説『近畿地方のある場所について』は話題を呼び、単行本化、この度映像化された。そして、同作には、“赤い服の女”が畏怖の対象として登場する。思い返せば、この国で産声を上げた妖怪や怪談、都市伝説やネット怪談に登場する怪異は、とりわけ白や赤を纏っている。数ある色の中で、なぜこの二色に帰結するのか。
弊誌は、恐怖と結びつく服装と色に注目し、ジャパニーズホラーのイマを担うといっても過言ではない彼にインタビューを行った。
「あくまで個人的な考察ですが、作劇的な手法です」と背筋さんは語る。「誰かを怖がらせようと思うとき、怖い対象を“怖く見せる”必要がある。悪霊や怪異には、なるべく生を感じさせない服装をしてもらわないと恐怖が伝わりづらいんです」。続けて、「対象はある程度の個性を消しつつも、恐怖を演出するための個性は出さないといけません。このジレンマが重なった結果、白や赤といった、目立つ色に帰結するんじゃないかなって思います」と分析した。
白い服は儚さや実態の無さといった非現実的なイメージを与え、暗い場所でぼうっと浮かび上がって見えるうえ、亡くなった人が着る死装束を彷彿とさせる。赤は情熱を表すこともあるが、ホラーの領域では単に血や執念、警告、怒りのイメージを与え、遠くからでも目を引く。
白と赤、それぞれの色の服を着た怪異を想像してみてほしい。「白い服を着た幽霊は、襲ってきたとしてもアクティブじゃないように感じますが、赤い服を着た幽霊はアクティブに襲ってくる気がします。色としての個性を感じさせつつ、“静と動”で棲み分けられた結果、怪異の服は白と赤に帰結していくのかもしれないですね」
幽霊のファッションは、どの時点で形成されるのか?
私たちは皆、ファッションへの興味は関係なく、服を着て生きている。服の色が恐怖と結びつくのであれば、幽霊のファッションはどの時点で形成されるのだろう。
「亡くなった時点だったら、例えば《バレンシアガ》を着た幽霊がいてもおかしくないですよね。でも埋葬の時点であれば、ほとんどが古典的な死装束になります。怪談話には死装束の幽霊も出てきますが、現代においては、前者も後者も一般的ではないような気がしています」
《バレンシアガ》の服を着た幽霊なら、「なぜ自分が幽霊になってしまったのかわからない。理由を見つけてほしい」と生者に依頼するような作品が想像できる。幽霊から受ける恐怖と、同情・親近感は、装いの描き方でも差が出るのだ。
恐怖とファッションの結びつきについて背筋さんは、「他者からどう見られたいか、自分をどう表現したいか。人の本質のいちばん表層の部分が、髪型やファッションだと思います。その意識があることを前提にすれば、例に出した《バレンシアガ》を着る幽霊は親近感が湧き、怖く感じないと思いませんか?」と問いかけた。確かに、怖くない。怖い対象というより、生きている人に近い存在に見えてしまう。
もし服装が恐怖の象徴として機能するのであれば、「白いワンピースを着た」「赤いコートを着た」という描写になる。それが「白い服」「赤い服」という描写に集約されるのは、服そのものより、そこから受け取るイメージや恐怖の質を示すためなのかもしれない。
幽霊は服で語れるのか
物語における服装の描写は、キャラクターをわかりやすく表現する手段だ。しかし背筋さんは、自身の作品でほとんどキャラクターの容姿について言及しない。それは「外見だけで語りすぎると、内面の複雑さが伝えきれないから」だと明かした。
さらに、「幽霊は服装で語りづらい」とこぼす。「幼い子供の幽霊なら、プリキュアや仮面ライダー、パウパトロールの服を着ていない方がむしろ不自然ですよね。でもそういう服を着せると、一気に『幼いのに可哀想だ』と感じます。だからといって無個性な服を着せると、その子のバックボーンを全部無視することになるんです」。個性に振り切れば恐怖は消え、恐怖に振り切れば背景が消える。キャラクターの造形と服装の関係性は、「ポジティブでもありネガティブでもある」とジレンマを語る。
ファッションは、恐怖を演出する道具であると同時に、物語の邪魔にもなる。ファッションと“創作される恐怖”の関係性。後編では背筋さんの作品からそれらを紐解いていく。