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FEATURE | 09, Apr, 2018

【インタビュー】FREDERIC SANCHEZ (アーカイブ)

(2017/4/24発売のThem magazine No. 014 「The Artist」に掲載されたアーティクルです。)

 

その手で作り上げたサウンドをデザイナーが、メゾンが、そしてモードが必要としている。ランウェイミュージックの巨匠、フレデリック・サンチェス。音楽とファッションの歴史を紡ぐ、稀代のイメージメーカーに迫る。

 

 オンラインでコレクションムービーがリアルタイムに、さらにはアーカイブとして提供されているこの時代。片道10時間以上かけ、CdGでロストバゲージを恐れ、人ごみをかき分けながら会場入りしてまで観るわずか十数分ばかりのショーの意味。それはデザイナーや彼らを支えるチームがこの半年のすべてを注ぎ込んだ、そしてその後半年の命運を左右する、モードにとって最も尊い瞬間だからだ。そこには単なる“新作服”のお披露目以上の価値が宿る。もしかしたら、モードを一変させる何かが起きるかもしれない。そんなメゾンの全身全霊を込めたショー演出で最も重要な要素の一つ、そして決して“Youtube”では体験できないもの。それこそがランウェイミュージックである。

 ロンドン、ミラノ、パリ。そしてNYや東京で行われるランウェイショーには、ほぼすべてにサウンドが用いられている。シンプルな演出を意図し、たとえキャットウォークと座席だけの舞台だとしても、音楽が流れないことはまずないだろう。無音のショーが行われたとしても、それは“サイレントであること”を選んだにすぎない。また時として、ショーで流れる音楽というのは目に見える光景以上にコレクションのイメージを膨らませる。服それ自体よりも印象に残ることもあるかもしれない。それほどまでにランウェイでは、サウンドが重要な役割を持つ。そしてサウンドメイキングについて語る上で外せないのが、ランウェイミュージックの巨匠、フレデリック・サンチェスだ。

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 ミニマルなアプローチやミクシングで《プラダ》や《エルメス》、《コム デ ギャルソン》、《ジバンシィ》、《アレキサンダー ワン》など錚々たるブランドを手掛けるフレデリック・サンチェスは、ミシェル・ゴベールと並び最もリスペクトされたサウンド・デザイナーの一人だ。90年代の《ヘルムート ラング》や《カルバン クライン》、《ジル・サンダー》からの寵愛を受けていたことからも、そのミニマリスティックな美学の影響力を推し量ることができるだろう。

 サンチェスは1988年、ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントであったマルタン・マルジェラのデビューショーでそのキャリアをスタートさせた。大学を中退し、レコード店や劇場、オペラハウスでのアルバイトを経てアタッシュ ドゥ プレスの重鎮ミシェル・モンターニュのアシスタント職を得る。彼女の周りには《クロエ》を手掛けたマルティーヌ・シットボンやその旦那であり《ヨウジヤマモト》のアートディレクターを務めていたマーク・アスコリ、ヘルムート・ラングなど当時のモードを牽引していたクリエイターたちが一堂に会していた。サンチェスがファッションに興味を持つきっかけとなったのは、10代のときに熱狂したジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーのアートワークをデザインしていたピーター・サヴィルが《ヨウジ》のカタログを手掛けていたことだったことからも、この環境がいかに彼のクリエイティビティを刺激していたかがわかるだろう。

 

———サウンドデザイナーになったきっかけと、それまでの経歴を教えてください。

 「もともと子供のころから音楽が大好きだったんだ。当時は70年代だったから、音楽というのはまるで本をつくるかのように、カバーがあり、写真があって、ミュージシャンたちはスタジオをツールのように使い、音楽を作り出していた。そこにまず、僕は惹きつけられた。でもそのころの音楽業界というのは、アメリカ、イギリスが中心で特にイギリスはフランスと非常に違っていて、多くの人たちがアートスクール出身。それもあり、僕はどうしたら、どの道を進んでいいのかがわからず“I was a bit lost(途方に暮れる)”といった感じだった。80年代に入ると、ダンスミュージックというジャンルが現れ、若い振り付け師のフィリップ・ドゥクフレやダニエル・ラリュー、そして使用する服がすべて《ジャン=ポール・ゴルチエ》というユニークなレジーヌ・ショピノらが出現し、僕はその世界にも夢中になった。学生を早くに退き、最初は劇場や、ファッションの仕事のアルバイトをしたり、ダンスミュージックの世界で1年働いたりしていたんだけれど、3年後ラッキーなことにマルティーヌ・シットボンに出会い、彼女のサウンドトラックを手伝っているうち今度は友達から、最初のショーを発表しようとしていたマルタン・マルジェラを紹介されたんだ。マルタンに出会ったとき、彼の才能の中に、僕の世界観と一致するものがあることを感じた。彼のショーでは映画を作るように、音楽を編集するコラージュの技術を多く散りばめたんだ。それが僕にとっての最初の“My Work”。そのとき僕はまだ20歳……若いよね!(笑)」

 

———では、あなたのデビューが《マルジェラ》のようにクリエイティブな仕事だったからこそ、今があるということなのでしょうか?

「そうだね。でも、僕にとってはマルティーヌ・シットボンとの出会いも大事だった。そういった一連の出会いが、今の僕を形づくってきたと思う……当時の彼女は、パリにおいて本当にクリエイティブな一人だったから。すべてのことが、密接につながっているんだ」

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 《マルジェラ》同様その名を世に知らしめたサンチェスのもとにも、その後さまざまなブランドからのオファーが舞い込むようになった。かのデビューショーで採用したオープンリール(テープを使い音声や映像などを磁気記録するための装置)を用いたサウンドメイキングが彼の十八番だった。もともとは、当時のDJたちがディスコ用のテープをまるで技術を競うようにきれいに繋げていたことへのカウンターだったそうだ。テープをわざとたくさん切り貼りし、汚く混ぜあわせるといったコラージュやミックスを駆使した、まるで映画を編集するように音楽を作り上げていったこの手法こそが、彼が評価されたきっかけだと言う。

 一人のミュージシャンとしてではなく、デザイナーをサポートする立場としてキャリアを積み重ねていったサンチェスは音楽それ自体への興味より、サウンドによってコレクションのイメージを操作することに価値を見出していた。ゆえに彼は当初から、自身を音楽家と称することを避けてきた。

 

———これまでのインタビューで、自分のことを“音楽家”ではないと語っていますが、自身を定義するとしたらどんな言葉を用いますか?

「確かに最初は、自分のことを音楽家とは思っていなかった。初めは何でも実験的に試していたし。でも、現存する音楽に触れるにつれ、自分の“言語”を表現するものとして作曲をするようになっていき、今では『自分は音楽を作っている』と思うようになったかな。テクニックを考えると、僕のはちょっと“他と違う”とは思うけれど。そうだなぁ……曲、イメージ、などすべてを取りまとめる“composer(構成家)”というのが、一番ぴったりくるかもしれないね」

 

———製作するにあたって洋服を見ないそうですが、それは何故ですか?

「そんなことはない、それぞれのメゾンの希望に合わせているよ。例えば《コム デ ギャルソン》は服を見せてもらっていて、カワクボも見てほしいというし、逆にミウッチャはコンセプトをディスカッションした中でイメージを膨らませてほしいと言われる。デザイナーはどうしたいか、なにをしたいかというのがきちんとあるので、それを音楽として伝えるのが大事だと思っている。どこも違う要望があるし、本当にメゾンによるね」

 

———では、デザイナーとどのようにしてイメージを共有するのでしょうか?

「ルールは特にないね。例えば1ヶ月前から制作を進めるところもあるし……僕は前もって進めていくのが好きだけれど、例え最終的に話を詰めるという形であっても、前もって“こんなイメージかな”というものはできあがっている。もともとそれを作っていく過程というものが好きだから、何も準備してない、ということはないね。聞くもの、見るもので最終的に調整はするけれど、自分の中でイメージは作っておくよ」

 

———事前の打ち合わせなしに、自分とデザイナーの考えがぴったり一致したことはありますか?

「数シーズン前の《コム デ ギャルソン》がまさにそうだったね。『ブルーベルベット』のイメージがいいと考えて、それを準備していったら、カワクボのアイデアもまさに、『ブルーベルベット』だったんだ」

 

———それは、ずっと《コムデ ギャルソン》と一緒に仕事をしているから得られた経験でしょうか。

「それはわからない。本当にたまに、そういうことがあるのさ。ちょっと“Strange”だなと感じる瞬間だよ」

 

———今シーズンは何ブランドくらい関わったのでしょうか。

「かなりたくさんだよ(笑)。《プラダ》、《ミュウミュウ》、《コム デ ギャルソン》、NYの《ナルシソ(・ロドリゲス)》、《ミッソーニ》、《ランバン》、《アルマーニ》も新しいディレクターになって面白かったし……」

 

———なるほどビッグネームばかりですね。

「そうだね。でもビッグネームだけを選んでいるわけではないよ。今季はロンドンの新進デザイナーの音楽を担当したりもしたし、ネームバリューなどよりも、その人たちの熱度、クリエイティビティを大切にしているんだ」

 

———ではどうやって、仕事をする相手を選ぶのですか?

「僕と、本当にいっしょにやりたい!と思ってくれる人と仕事をするようにしているよ。単に『一度仕事してみたい』というような人と働くのは、正直好きではないんだ。一緒に、ストーリーを作り上げていける人たちと続けていきたいと思っている。お互いにリスペクトがあり、共に積み上げていくことで未来があるな、と思える人たちとね。例えば《ギャルソン》とは、お互いリスペクトを感じつつ、もう3年続けているよ」

 

———自身の中で、特に印象に残ったコレクションは何ですか?

「マルタンの最初のショーは本当に大切なものだったし、パリの地下で、ほとんど音楽のない静けさの中、キャンドルを灯して行われたシーズンもそうだね。数シーズン前のオーケストラと歌手でもあるドイツ人女優のバーバラ・スコヴァと共に行った《プラダ》のショーも記憶に残るものだった。最初のコンセプトは、ピナ・バウシュの振り付けからファスビンダーの映画についてというものだったのだけれど、その後はパフォーマンスについての考察へと変化し、最終的にはミュージシャンやバーバラと仕事をするというハプニングになったんだ。僕はこの“ハプニング”というものが好きなんだ……。例えば、映画や劇などではいろいろ準備する時間があり、リハーサルして臨むけれど、ファッションの仕事だと最後の最後にやってきて、そこに刺激や感動があると感じるから」

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“I would say that I am a composer, like composing images, composing sounds, it’s composition for me. ”

——「曲、イメージ、などすべてを取りまとめる“composer(構成家)”というのが、一番ぴったり来るかもしれないね」

 

———素材となる音楽はどのように探しているのですか?ストックとして、どのくらいの楽曲を持っているのですか?

「今はもっぱらインターネットだね(笑)。とはいえ、今では自分で作曲をするので、思い描くものがすでに頭の中にある段階で、ネットに探しに行く。新しいものを探すために、ネットを見るというのではないよ。アトリエにはたくさんのCDがあるけれど、それは音楽というよりカバーのイメージを見たいときに使うことが多い。僕にとってイメージは、音楽と密接に関係してるから。インターネットが好きなのは、イメージが一緒に見られるというのもあるんだ。“トータルアート”であること、双方が同時に存在していることが、非常に重要だね」

 

———仮に、自分が担当していないブランドが使用予定だった曲を使った場合には選曲を変えますか?そういうことがこれまでにありましたか?

「そこはすごく気をつけているよ。ファッションショーに関しては、すでにある曲を使うのが好きなのだけれど、例えば同じ曲を使ったとしても構成や編曲で、オリジナルかつユニークなものにするようにしている」

 

———いまやリアルタイムでショーを観ることができ、それに伴いショー来場者にとっての“特権”であったランウェイミュージックまで一般の視聴者に共有されますよね。

「いや、僕の音楽はできないよ。インターネットなどで見られる動画の音楽は、インターネット向けに作り直しているものなので、ショーで実際聴く音楽とは違うんだ。ショーで使う既存の音楽は、インターネットで使うと権利の問題でお金がかかってくるので、再度編曲したものを採用している。だから今でもショーでかかる曲は、実際そこに参加した人だけが聴けるものだ」

 

 

 ランウェイミュージシャンとして確固たる地位を得たサンチェスは、そのイメージを操作するクリエイティビティを他の領域にまで拡大している。青山の《プラダ》のフラッグシップショップのために、ヘルツォーク&ド・ムーロンと共に“サウンドシャワー”を制作したほか、ラリー・クラークやジャック・ピアソン、ルイーズ・ブルジョワなどのアーティストとのコラボレーションも行っている。2010年には映画「Le Soldat Sans Visage」を発表。2005年には芸術文化勲章も授与され。ルーブルやグラン・パレなどのインスタレーションのキュレートも手掛けているなど、枚挙にいとまがない。2006年から2009年までにはJ-WAVEで、エルメスの提供によるラジオ番組も放送されていた。

 

———影響を受けたアーティストやクリエイターはいますか?

「うーん……いるといえばいるけれど、それよりも映画から受けた影響のほうが大きいと思う。例えばファスビンダーは子供のころに影響を受けた監督だね。ドイツの映画は大きなインパクトがあったなと思っている。あと、日本の映画からも少しある……溝口健二とか。60年代や70 年代の実験的要素のあった映画はみんな、僕に大きな影響を与えたと思うよ」

 

———あなたにとってプロフェッショナルとしての条件は何でしょうか。

「情熱的であること、愛があること、強さがあること。でもその中でも、やはりパッション(情熱)は大事」

 

———その情熱を保ち続けるのはしかし、なかなか大変そうですよね。

「そうなんだ……だから、今も自分が仕事に情熱を持てていることにびっくりしているよ(笑)」

 

———最後に、あなたは何故ファッションには音楽が必要だと思いますか?

「ファッションが音楽を必要としているかはわからない。けれど、ファッションデザイナーというものは往々にして感情を伝えたいと思っている。音や香り、そして触れたりすることは、物語を伝える上でとても大切なんだ」

 

フレデリック・サンチェスが弊誌のために用意してくれた特別なトラックリストはこちら。

 

Interview_Mamiko Izutsu
Edit_Junichi Arai